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おとうさんと(永遠に)いっしょ-2
眞一は医学部の電子顕微鏡室に勤める技能員だった。
病理学や解剖学などの他教室に依頼される業務を日々一人で黙々とこなしている。
実験室で樹脂に包埋した検体をミクロトームという器具でナノサイズに薄切りし、電子顕微鏡で撮影した写真を暗室で現像し、そのプリントを相手に渡すまでの過程を全て任されている。
四六時中レンズを覗き、神経を使う、根詰める細かな作業が多い。
試料作製には様々な試薬を用いるので毒劇物取り扱いの資格なども持っている。
フィルムの現像液で汚れた白衣を纏う眞一は、四十代前半にしては肌の色艶がよく、手つかずの髪は黒々としていて実年齢よりも随分若く見えた。
しかしその表情はどこか寂しげで。
厭世的じみた薄幸な色を持っていた。
反対に息子の脩は鮮やかな色を持つ少年だった。
澄み渡る五月晴れの空に透かしてみせた色硝子を彷彿とさせる、清々しい、美しい色を。
前妻と離別し、今の女性と眞一が結ばれるまで、脩と眞一は二人で暮らしていた。
大学で多忙な眞一を気遣って、小学四年生だった脩は洗濯や料理といった家事を懸命に覚え、勉強も頑張った。
「またテストで百点とったんだ、脩」
珍しく定時で仕事を終えられた日、眞一は腕を振るって脩の大好物をつくり、遅めの夕食を二人きりで迎えた。
「読書感想文でも表彰されたし、頑張りやさんだ。お父さんも頑張ってお前の好きな麻婆豆腐とエビチリ作ってみたけど、どうかな」
「うん。辛いのおいしいよ」
「そう、よかった。明日の土曜日は久し振り休めるから、どこか行こうか。遠出して一泊するのもいいかもしれない」
「本当?」
二人きりの食卓。少ない食器。テーブルの上で目立つ隙間。
湯気を漂わせる温かな食事。
交わす会話。
父の微笑。
脩は幸せだった。
色硝子は尊い幸福を反射して、より、美しく輝いた。
「いってらっしゃい、脩君」
朝が早い眞一の後に続いて登校する脩へ彼女は声をかける。
「いってきます」
「あ、ねぇ、脩君!」
不意に呼び止められて、門扉に手をかけていた脩は振り返った。
彼女は自然と色づく唇をうっすらと開いたまま、その双眸をいつになく大きく開かせて、何か言いかけようとした。
しかし彼女は何も言わなかった。
手を振りながら満ち足りた笑顔で脩を見送って家の中へと戻っていった。
脩がそのしなやかな腕を使って投げたバスケットボールは綺麗な弧を描いてチームの得点を追加した。
「やったぁ、宝」
「まぐれだよ、まぐれ」
肌寒い季節でも体を動かせばすぐに発汗する。
相手チームの守備を掻い潜ってシュートを決めた脩は額の汗を拭い、肩を叩いたクラスメートに笑いかけた。
三時間目の体育の授業中であった。
ゼッケンをつけた男子生徒は体育教師の指示の元、バスケットボールの練習試合をしていたのだが、ふと彼らの動きが散漫となった。
担任の教師が体育館に駆け足でやってきたのだ。
滅多にない事態である。
中年の教師は明らかに異変を帯びた硬い表情で体育館を見回すと、その名を呼んだ。
「宝、ちょっと来なさい!」
雨のひどい夜だった。
鼓膜を震わせる激しい雨音があの時の水音を思い出させ、小学六年生の脩は寝つけずに、眞一の元を訪れようとした。
眞一の部屋の扉は細く開かれていて通路に一筋の光を伸ばしていた。
声が聞こえる。
抑えられた、しかし止めようのない、微かな声。
足音を忍ばせて中を覗いた脩の視線の先には眞一の後ろ姿があった。
パソコン前のイスに座り、うつ伏せて、背中を波打たせている。
あ。
お父さん、オナニーしてる。
「宝、ちょっと来なさい!」
担任から呼びかけられた瞬間、脩は、青ざめた。
手にしたボールを思わず取り落とす。
不安が、懸念が、恐れが、絶望が、一気に彼に襲い掛かる。
やってきた担任は立ち尽くす生徒達の合間を練って、凍りついていた宝のしなやかな腕をとると、体育館から連れ出して廊下で向かい合った。
「いいか、聞きなさい、宝」
心臓が跳ねた。
嫌だ、聞きたくない、やめて、先生、その続きを言わないで――。
「お母さんが事故に遭われたそうだ。すぐに病院に行きなさい。タクシーを呼んであるから、ほら、これが搬送先だ」
「ありがとうございます、先生」
心配する担任に走り書きのメモを渡されて、脩は、少し笑った。
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