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ツイン出張は蜜月flavor-5
きっかけは些細な一瞬だった。
「二次会に打ってつけの絶好な場所だよな」
「恐縮です」
「オツマミの味つけだって細かいリクエスト可能だし」
「ウチにある調味料の範囲でお願いします」
午後十時。
それなりに片づけられた1DK。
情報サービス企業のシステム開発部運用支援課主任を務める永崎は部下である菰田の部屋で350mlの缶ビール(二本目)をのんびり飲んでいた。
一人用のダイニングテーブルとは別にテレビ付近に置かれたローテーブル、そちらのスペースで二人掛けソファではなくラグ上にあぐらをかき、部下手作りのモヤシ炒めをツマミに金曜夜の二次会を満喫していた。
「次からはお通し代、もらってもいいですか」
ネクタイを外してワイシャツを腕捲りした菰田は永崎の向かい側、消されたテレビに背を向けて500mlの缶ビール(一本目)を飲んでいた。
菰田が中途採用で入社してきたのは一昨年のことだった。
面接では「もっと視野を広げたい」などと述べていたらしいが前の会社は所謂ブラック、度重なる残業休日出勤、増えていく労働時間に反して微動だにしない給料に痺れを切らして退職したのが事実らしい。
「居心地いい隠れ家、キープするためなら。いくらでも」
「冗談ですよ」
低温じみた眼差しに長い睫毛。
筋張った五指を持つ大きな手。
そう、この手。
最近、ふとした瞬間、たまに目が離せなくなる。
『危ないですよ』
先月、菰田を昼飯に連れて行って、その帰り。
スマホを見ながら歩道橋の階段を下りていたとき、うっかり踏み外しかけたところを、菰田に助けられた……は大袈裟か、ちょっとよろめいたのを支えられたぐらい、か。
思いがけない強さで片腕を掴まれた。
菰田の手はすぐに離れていったが、たった一瞬で、掌の熱がスーツ越しに肌に刻みつけられて。
その熱が心臓にまで届いたような錯覚を覚えた。
菰田って、あんな力で女を抱くのだろうか。
最近の癖に従って永崎がじっと見つめていたら。
視線の先でぴくりと動いたかと思えばテーブルをおもむろに離れ、緩やかに虚空を過ぎって、永崎のすぐ目の前まで。
「ついてますよ」
口元を指先で拭われた永崎は菰田に尋ねてみた。
「お前さ、彼女は?」
「はい?」
「最近、金曜夜、俺が独占してばっかりだろ。いたら悪いと思って」
「彼女はいません」
「ああ、そうなんだ……、……?」
微妙に引っ掛かる物言いに少し遅れて気づいた永崎、上司の鈍い反応を笑うでもなく部下は淡々と教えてやった。
「彼氏なら。俺、ゲイなので」
同じマンション、上階で妻子と暮らす永崎と違うフロアに住む菰田。
朝の通勤は別々だ。
コンビニでコーヒーを購入して上司が出社すると先に来ていた部下はたいていパソコンのメールチェックをしていた。
「急なカミングアウトだな」
帰りは週に何度か同じになる。
「彼氏って、どんな?」
「……年下、です」
男相手なら丁度いいんだろうか、あの掌の強さは。
「お前が抱く方?」
「主任」
「あ。悪い。今のはデリカシーに欠けた」
二本目を空けた永崎は自分で口を拭った。
「前に預けた1ケース、残り何本? そろそろ補充しないとな。4、5本くらいか?」
空になった缶を持ち上げて残りの本数を尋ねた永崎の手首を、菰田は、掴んだ。
我知らず魅入られていた熱に不意に捕らわれて一時停止に陥った上司。
アルコールを摂取しようと印象の変わらない低温の眼差しとは反対に熱せられていた掌。
前回と同じく、心臓まで、蝕まれる。
「興味あるんですか、主任」
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