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美しい薔薇には棘どころか牙がある-5
「翔汰朗クーン」
友達と群れるでもなく単身校門を抜けたばかりの翔汰朗はわざとらしいくらいの猫撫で声に呼び止められた。
通学路に横付けされた黒塗りの外車。
運転席には強面のスキンヘッド。
さもありなんな組み合わせ、高校生でも一般人じゃないことくらい一目でわかる。
「ちょっと会わん間にまた男前なっとらん?」
恐ろしく女顔である一人の男が車に寄りかかって立っていた。
黒シャツにストライプスーツ、隅々まで磨かれた革靴を履いてタバコを吸う彼の元へ翔汰朗は迷うことなく歩み寄る。
「麗人さん」
特定危険指定暴力団、黒天組直系の影山組若頭。
通称イバラ姫として対抗組織からマークされている過激派、漣麗人。
他の生徒が視線を逸らしがちに足早に通り過ぎていく中、自分の真正面へ真っ直ぐやってきた翔汰朗に麗人は艶やかに笑いかけた。
「俺とデートせん?」
最初に翔汰朗が目にした麗人は路地裏の暗がりでゴミ袋の狭間に無様に倒れていた。
腹部に血を滲ませて。
ギラギラと野蛮に光る凶器にその命を狙われていた。
『翔汰朗クン、俺のこと突いて?』
麗人とセックスしたのは先月のことだった。
出会って間もないというのに取り憑かれたみたいに彼との一夜に翔汰朗はのめり込んだ。
『翔汰朗クンの正体、相手に割れとったけど。素人さんに手ぇ出し続けるほど向こうのオツムも弱ぁないけん。でもま、命の恩人に何かあったら針千本飲んでもお詫びの仕様がないからね』
そう言って麗人は自分の舎弟に翔汰朗の身辺をさり気なく警護させていた。
麗人自身は翔汰朗の前に姿を現すことは今日の日までなかった。
『もっと色んな初めて、俺と覚えてこ、翔汰朗』
「てなわけで、じゃーん、特等席、翔汰朗クンのために奮発しといた」
再会した麗人に連れていかれた先は街中にある能楽堂だった。
派手な舞台装置など皆無な飾り気のない白木造りの舞台。
極度に平滑な床、観客席に突き出した縦深型で、左側には橋掛りという長い橋の廊下がある。
隔たりのない、客席と舞台が一体化したような空間。
席に着いた客のパンフレットを捲る音がいやに響いて聞こえるくらい澄んだ空気に満ちている。
舞台の正面、麗人を隣にして翔汰朗は中央周辺の席についた。
静寂を劈く鋭い笛の音に最初は鼓膜をビリビリと震わせたが。
開始数分、正直、途方もない睡魔に襲われた。
コックリしかけて、手の甲に思い切り爪を立てられて麗人に起こされたこと、数回。
最後の演目は「船弁慶」という、怨霊や鬼といった人ならぬ異類を激しい立ち回りで主役のシテが演じるという切能であった。
これにはアクションの要素もあって翔汰朗は何とか睡魔に捻じ伏せられずに見続けることができた。
しかし全ての演目が終わった後に「色っぽい話と思わん?」と言ってきた麗人には同意しかねた。
「最初の敦盛。俺、あの話、好きと」
「……」
「ほとんど寝てたもんねぇ」
「すみません」
夜の帳が下りて色鮮やかに瞬く街の中心部を走り抜ける車、革張りのソファに落ち着いて足を組んだ麗人は続ける。
「生きてた頃は敵同士。かたっぽがかたっぽ殺して、それから、生者は幽霊なった相手と再会する」
戦で死した武将がシテとなってもののあわれを誘う修羅能の一つ、源平合戦の一の谷の戦いを描いた話だった。
「刀落とすシーン、あそこ、何度見ても痺れるけんね」
己を殺めた仇を討つつもりで現れたはずが、罪咎を一心に背負って弔い続けていたという生者の心に触れ、憎しみが浄化された亡霊は自ら姿を消す。
「消える寸前、幽霊は言う。生まれ変わったら一緒に同じ蓮になろう。体も魂も一つになって」
「それって。プロポーズっぽい」
「死人が生者にプロポーズ? 新婚旅行は地獄巡り? 閻魔様にヤキモチやかれそう」
麗人は短い笑い声を立てて喉骨を震わせた。
「生きてる、死んでる。絶対的な境界線なんざ取っ払って。そんな風に束縛されてみたか」
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