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白衣なアルデヒド系-3
由利の手首の筋付近にはリストカットの痕がある。
随分昔につけられた傷跡。
それは横に悪巫山戯するのではなく縦一文字の暴走。
だから由利はうだるように暑く苦しい夏の日でも長袖を欠かさない。
教授はいつだって萌え袖なんです。
「今度僕がついていきます、病院」
「……は?」
「今日、切り出しの時に話してたでしょう、この間また吐いて、水も薬も吐いて、病院で点滴してもらって、その二時間が一日みたいに長く感じて死にそうになるって」
「……そんな話……したっけ……」
とっちらかったマンションの一室。
夜中、ソファにうつ伏せになってだらーんとしていた由利の片腕をとる葛西。
おくすりがはいっていたプラスチックのPTP包装が散らばる床に座り込んだ彼。
由利の長袖シャツをたくし上げてか細い手首を露にしていく。
透き通るような皮膚に浮かび上がる青い静脈、そして。
葛西は口づけた。
唇に触れるリストカット痕。
「……眠い……」
ふわぁ、と生欠伸する由利。
しょぼしょぼした目が涙でしっとり潤う。
ああ、なんて可愛い人なんだろう。
葛西はひんやり冷たい手首にずっとただ唇を押し当てたまま、その冷えた温もりを感じ続ける。
「ねぇ、教授」
「……んー……」
「ずっと起きててあげますね、貴方が眠るまで、貴方が眠ってからも、貴方が起きるまで」
由利はソファにだらーんとしたまま眼球だけきょろりと動かして葛西を見上げた。
「……じゃあ、俺が起きたら寝んの? ……やだな、それ……俺のことほっぽって寝んのかよ……だめ……起きてろ……一睡すんのも禁止……はぁ……頭痛い……」
教授、可愛過ぎます。
「わかりました、じゃあ起きてます、ずっと」
歪に膨れた暴走傷跡なる蚯蚓腫れの柔らかな感触に頬擦りして葛西はうっとりそう誓った。
「ん……」
浴室、浴槽で葛西に後ろ抱きされた由利はウトウトしている。
適温の湯船に沈んだ体は燐光を発しそうなくらい青白く澄んでいた。
教授、人魚みたい。
僕の人魚姫。
「気持ちいいですね」
「……ん」
「お風呂あがったらちゃんとおくすり飲みましょうね」
「ん……今日は……いらない」
「おくすり、いいんですか? 大丈夫ですか?」
「……多分……はぁ……」
ちゃぷちゃぷと揺れるお湯。
肌と肌が重なって覚える安心感にどこまでも溺れてしまえそうな。
教授は僕の吸血鬼で人魚姫で眠り姫。
冷凍室にずらりと並んだ容器。
ホルマリンに浸されて眠りにつく臓器達。
寒さを忘れてほんの束の間ぼんやり佇む葛西。
もしもこの中に教授が紛れ込んだら見つけられるだろうか?
葛西の足元には海保から持ち込まれた遺体袋が二つ安置されていた。
葛西はそれを踏まないよう気を付けて切り出しに必要な分の容器を運び出した。
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