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閉鎖症候群ロマンス-2
今にも片方の肩から滑り落ちてしまいそうなサイズの合わない白い服。
独房の翳りにすっかり馴染んでしまった白い肌。
カラスの羽じみた黒い髪。
「お母さんは海から僕を見守ってくれてるかな」
鉄格子がはめられた窓越し、雑木林の向こうに見える昏い海原を遠目にして十朗はぽつりと呟いた。
拘束具の備わる寝台。
仕切りを挟んで、きちんと掃除されたトイレ。
空白の四隅。
足元に延々と沈殿し続ける空気。
「先生みたいに笑ってくれてるかな」
「笑ってなんかいないよ」
「どうして?」
「海の底からにらんでるよ!」
「本当? それでも嬉しい」
「なんで?」
「僕のことを見てくれているから」
「ちぇっ」
がっちゃーーーーん!
「マズイッ! いらないッ! いらなーーーいッ!!」
「先生、また十朗君が」
「……影朗君ですね」
十朗のもう一つの人格に静架は影朗 という名前をつけた。
乱暴で、粗雑で、インファンテリズム(幼児性)の傾向が顕著に見受けられる、狂気にも近い純粋さを持ったハイド。
これまで精神科医として静架は恐れることなく対等に、時に教師のように厳しく、時に友達のように和やかに、彼と向き合ってきた。
しかし、先日の、あれが、あのせいで。
静架は影朗を恐れるようになってしまった。
暴れたために寝台に拘束されて噛みつき防止のため口枷をされた影朗の元を、静架は、訪れた。
真夜中だった。
独房棟には誰かの泣き声や、誰かの悲鳴や、誰かの歌声がどこからともなく聞こえてきて。
まるで子守唄のような。
「また引っ掻きましたね、影朗君」
職員の顔を引っ掻いたという影朗の手をとり、白衣のポケットから爪切りを取り出した静架、伸びかけの爪をプチンプチン切り始めた。
「やめなさい。そう言っても君はやめないから。さて、どう言えば効果があるのでしょう」
プチン、プチン、プチン
「教えてもらえませんか、影朗君?」
この手に、この間、私は犯された。
「全てが不満でしょうが、君が変わることができれば、この部屋からは出られますよ」
うつむきがちに爪を切っていた静架は何気なく影朗の顔へ目をやった。
影朗は静架をじっと見つめていた。
静架はすぐに影朗から顔を逸らした。
「先生、うさぎは火に焼かれてきっと怖かったよね」
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