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眠らずの君に螺旋の赤い糸-3

おかしいな、もっと小さい子だと思っていたのに、もしかして夕方に見かけた男の子とは別の子だろうか? でもこの肌の白さはあの子と一緒だ。 もしかしてお兄さんかな? 何も言わずに彼はじっと悠久を見つめている。 たじろぐくらいに真っ直ぐな視線。 澄んだ黒目は宿の周囲に広がる竹林を満たす夜の闇と同じ色をしていた。 彼にぎゅっと手を握られて悠久はまたびっくりした。 少年はそのまま悠久を引っ張って複雑に入り組んだ階段を大股で進む。 上ったかと思えば下り、また上り、下って、そうしてまた上がって。 まるで迷路だ。 だけど、妙だ。 ……この旅館、こんなに広かっただろうか? ……もう十分近く階段の上り下りをしているような。 「どうしたの? 大丈夫? 急に怖くなった?」 彼は悠久の問いかけに答えない、ただ掴んだ手をずっと離さずに先へ先へ進む。 螺旋を辿るようなループ。 まやかしじみた夜、掌から伝わる少年の冷えた温もりだけが確かにそこにあって。 そうして悠久は辿り着いてしまった。 <眠らずの間>に。 「君……名前は?」 飾り細工の施された襖と障子戸が囲うこぢんまりした座敷。 真夜中であるはずなのに日の光に透けるように障子はほの白く、行燈には茜色の火が点っている。 「サクヤ」 畳の中央には敷き寝具に格子柄のかいまき。 床の間には名前も知らない綺麗な花が飾られていた。 「はるひさ」 教えた覚えのない名前をサクヤが口にし、座敷を繁々と見回していた悠久が視線を戻してみれば、彼はやはりひた向きにこちらを見つめていて。 「会いたかった」 「え?」 「待ってた」 「サクヤ君……?」 力任せに引き寄せられてバランスがとれずに布団の上へ倒れ込んだ悠久にサクヤは覆い被さってきた。 「はるひさ、に、会いたかった、ずっと待ってた」 「待ってくれ、僕は君のことを知らないし……君だって僕のこと……」 まるで幼子みたいに頬擦りしてきたサクヤに悠久の戸惑いは否応なしに削がれた。 「はるひさ、はるひさ」 外見は十代半ばなのにその振舞は幼く健気で。 構ってやりたくなる。 甘やかしてやりたくなる。 かつてない庇護欲に掻き立てられる。 幽世じみた座敷で彼岸の住人さながらに冷たいサクヤのことを悠久は放っておけなくなった。 階段で擦れ違った時のように。 「……君は不思議な子だね」 サラサラと触れる黒髪を梳いてやればサクヤは表情を変えずに喜んだ。 淋しがり屋な猫のように無表情のまま頬擦りを続けていたかと思えば、悠久の浴衣の合わせ目に鼻先を突っ込み、優しい匂いを思う存分吸い込んで、鎖骨を甘噛みしてくる。 ずっと寒くて。 ずっと人肌に飢えていた。 いつか自分を見つけてくれる誰かを恋しがっていた。 「はるひさ、あったかい」 もっと、もっと。 もっとほしい。 その熱を分けてほしい。 「サクヤく……」 冷たい唇があたたかい唇に触れた。 人肌に思い焦がれていたサクヤは悠久を求めた。 閉ざされていたその奥まで。 無邪気に、動物のように、平らげるように。 「はるひさ……」 冷たい汗に反して鉛じみた重たい熱に魘されながらも悠久が薄目がちに髪を撫でてやればサクヤは甘えるようにもっと奥へ。 悠久の奥底に脈動の証を何度も刻みつけた。 「はるひさ、会いたかった」 会いたかった。 どこまでも青く晴れ渡った空。 その母子は仲睦まじく会話を交わしながら竹林に囲まれた古めかしい木造旅館を去っていく。 「楽しかったー!」 「うん、そうだね、また二人で来ようね」 見送りに出ていた番頭は本通りへ向かって一本道を突き進むセダンにのんびり手を振る。 <眠らずの間>で家族が家へ戻っていくのを感じ取った悠久は身じろぎ一つし、ほの白い障子を見つめた。 「さみしい?」 自分を抱きしめていたサクヤに問われる。 「いっしょ帰りたい?」 悠久は首を左右に振った。 「僕が行ってしまうと君が淋しくなるだろう?」 「いっしょ、いてくれる?」 「うん」 「ずっと?」 「うん」 彼の蝋色の手が悠久の頬をなぞった。 「あたたかい」 微熱に混じりゆく指先の冷たい温もり。 まるで定められた運命であるかのように、そっと、悠久は目を閉じた。 end

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