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鬼さんこちら、私のそばへ-4
俺って貴方の何でしょう。
もしかして性処理係?
もしもそうだったらどっちのタマも潰してやる。
『でかくなったな、お前』
ああ、でも、それでも。
俺のことを覚えていてくれた、たったそれだけのことが……とても嬉しくて。
俺は貴方のものだと。
貴方のためにこの命を捧げようと思った。
『火稀』
素振りの稽古に励んでいた茉莉は一時も集中できずにただ竹刀をブンブン振り回し、周囲にいた先輩方から失笑されていたのだが。
今度はゼンマイが切れたオモチャみたいに急に動かなくなったので、皆、どうしのかと顔を見合わせた。
「新人、調子悪いならちょっと休めば?」
「ラーメン食い過ぎたんだろ」
「やっぱり納得いかない」
「はい?」
なんで俺があんな目で見られなきゃいけないんだ。
チクショー、あのサイコ野郎、一言物申しておかないと気が済まない。
「クソッ。休憩入ります」
突然の暴言に呆気にとられている先輩に竹刀を渡し、茉莉は稽古着の袴姿で弖羅を探し回った。
見つけ次第潰してやる……。
じゃなくて。
もしも本当に火稀隊長と恋仲にあるのなら……俺は……いらないだろ。
火稀隊長も弖羅隊長が鬼の血を引いていること、知ってるんだろうか。
茉莉は裸足のまま広い庭園へ降りて雑木林の中を彷徨っていた。
そして……まだ火稀と一緒にいる弖羅を木々の狭間に見つけた。
鋭い弖羅はすぐに茉莉に気が付いた。
短い髪は無造作に撫で上げられて覗いた額。
午後の木漏れ日を反射して淡く煌めく双眸。
ことの最中、滴るように赤く濡れる鬼の眼。
「ッ……」
つい先日の狂気じみた逢瀬を思い出して茉莉はその場で硬直した。
そんな茉莉の視線の先で。
涼しげな風に長めの髪をふわりと靡かせて、茉莉に背を向けていた火稀が……弖羅にいきなり口づけて。
パキッ
足元の小枝を茉莉が踏み鳴らし、振り返った火稀とも再び視線が合った茉莉は。
「ッ……失礼しました」
その場から踵を返して足早に稽古場へまっしぐら。
竹刀を掴み取ると狂ったように素振りを始め、周囲の隊員は尋常ならない気迫に思わず息を呑むのだった。
その日の夜。
交代制で別の隊が夜警邏に出、出動要請の待機に入り、非番である討伐隊<戌>の茉莉は隊舎の個室で月をぼんやり眺めていた。
馬鹿げた感情だ。
これが恋というなら下らない。
『お前を喰いたくなるんだよ』
でも想いを止められない。
好きなんだ。
不愉快なことに……。
ぼんやり月を見ていた茉莉だがドアをノックされて億劫そうに玄関へ向かった。
また先輩からラーメンのお誘いなら、今夜は五杯くらいいってしまいたいと、そう思いながらドアを開ける。
「え」
ドアの向こうに立っていた人物に思わず茉莉は驚きの声を上げた。
「今話せるか、茉莉」
討伐部門、討伐隊<酉>部隊長の火稀がそこに立っていた。
隊舎が別である幹部クラスの部隊長に立ち話をさせるわけにもいかず、部屋の中へ招き入れ、お茶を出す。
「非番だからと言ってその恰好はだらけすぎていやしないか」
ヨレヨレなシャツを注意されて茉莉は頭を下げた。
「申し訳ありません」
「マズイところを見られたと思って、な」
「……」
「口止めしにきたんだ」
聞き返す間もなかった。
テーブルに置いていた湯呑みが倒れて零れたお茶。
あっという間に別部隊の隊長に押し倒された新人。
驚きの余り抵抗も忘れて呆然としている彼に美丈夫なる火稀は口づけしようと……。
「いい加減にしろよ、火稀、この悪食が」
「悪食なんて失礼だな、私は見た目も味わいも重視するが?」
強張ったままの茉莉の上から身を退かした火稀は微かに笑い、立ち上がると、ドア口にいつの間に立っていた弖羅を見つめた。
「私はお邪魔みたいだな」
「さぁな」
咎めただけで怒るわけでもない弖羅の横を擦り抜けて火稀は去って行った。
なんだ、これは。
火稀隊長の次は……まさか弖羅隊長がここに来るなんて?
「性処理係」
最近、頭を駆け巡った言葉を弖羅が口にして茉莉はギクリとした。
もぞりと身を起こして……眉根を寄せて露骨に不機嫌そうにしている弖羅を見上げる。
「互いにそういう関係だった、あいつとは」
「え……火稀隊長と、ですか?」
聞き返してきた茉莉に弖羅は鋭い視線を放つ。
「悪食より性質が悪いな」
「は?」
「お前、誰彼構わず抱かれるのか」
「え?」
「節操なしめ」
弖羅のあまりの言い様に茉莉が抱えていたこれまでのストレスが爆発した。
瞬時に体勢を切り替えて上官に向かって駆け寄るなり、大きく拳を振り上げて。
「一発殴らせて頂きます……ッ」
もちろん簡単に殴らせてやらない弖羅。
拳を握った方の腕を掴み、自分からやってきた茉莉を自らも抱き寄せて。
涙目な部下に口づけた。
「き……っ聞こえます、ここじゃ……!」
「……忍耐力の訓練だと思え」
「ッこンの……ぁぁ……っん……ぅぅっ」
隊舎の個室、弖羅は寝台の上で茉莉を挿し貫いていた。
「あ……ぅぅっ……ぁっ……ぁ」
呪いのように我が身に取り憑いた鬼の本能を掻き立てる、かつて自分が救った、青年。
どうして彼なのか。
「……お前、早くこの服何とかしろ」
首筋や鎖骨のラインが丸見えなヨレヨレのシャツは無防備極まりなくて、苛立つ、というより煽られる。
緩みがちな唇に手の甲を押し当てて声を押し殺していた茉莉が上目遣いに睨んできた。
細胞の一つ一つがプチプチと音を立てて弾けるような。
制御し難い欲望に囚われて、弖羅は、またその双眸を朱に濡らす。
茉莉はぎこちなく唇から遠ざけた手で弖羅が羽織ったままのインバネスをきつく握りしめた。
「ッ……火稀隊長、も……隊長が、鬼の血を引くこと……知って……?」
知るわけがない。
誰にも告げたことがないのだから。
たった一人を除いて。
「誰も知らない、知るのはお前だけだ、茉莉」
震える茉莉の手を掌で覆って弖羅は答えた。
この身にとりこんでしまいたいくらいその熱に飢える。
視線が会うだけで、全身全霊でもって静めてきた呪いの血がいとも容易く目覚めてしまう。
傷つけかねない、いや、もう痕をつけてしまった。
遠ざけるべきだ。
それなのに求めてしまう。
どうして?
いいや、答えなんてもうわかりきっている。
「……弖羅隊長……」
お前に心を奪われたんだ、茉莉。
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