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鬼さんこちら、私のそばへ-5

薫り豊かな風に乗って春空に揺蕩う薄紅色の花弁たち。 そこは警察内部に設置された特殊高等警察、通称、特高(とっこう)の本部<マヨヒガ>が所有する庭園だった。 人を主食とする鬼族対策のために立ち上げられた特高。 戦闘能力に優れた隊員らは日々修行に努め、精神を養い、厳しい鍛練に心身共に真摯に向かい合って……。 「問題発生! 割り箸が足りないです!」 「隊長命令を下す、全員手掴みで食え、その方がおにぎりのうま味も増すってもんだろ」 「出前のラーメン届きましたけど、これも手掴みでいくんですか!?」 庭園のあちこちで美しく咲き誇る桜花、中でも一際立派な古桜の下を陣取って堂々とお花見を愉しむ一団がいた。 「余所の隊が稽古やら警邏に励んでる中、僕達、白昼堂々お花見していて怒られませんかね、弖羅隊長?」 弖羅率いる討伐部門<戌>の御一行様だ。 てらいのないおおらかな性格のおかげで多くの隊員から慕われている部隊長は毎年こうしてお花見を開いている。 「毎年のことだから大目に見てくれるさ、副隊長」 歴代トップの討伐数を誇る優秀な弖羅隊長の功績に免じて上層部は渋々目を瞑っているのか……? 「おにぎりを箸で食べるなんて邪道もいいところです、先輩方」 古桜にも負けず劣らず、薫風を浴びて淡く艶やかに耀く見目麗しき者がいた。 茉莉だ。 制服のインバネスに薄紅の一片を寄り添わせ、無駄にいつも以上に容姿端麗でいるかと思いきや。 その手は米粒だらけ。 三つ目のおにぎりに狙いを定めている。 「ほんっとう、お前ってば宝の持ち腐れ……」 「ラーメンください」 「だから半分食べたら渡すって言っただろ!」 「遅い、早く、急いでください、伸びたら恨みますよ」 薄倖そうな見目麗しい外見に反して食い意地が張っていて、ズボラで、口が悪い。 <戌>において最も若輩の立場でありながら先輩方に容赦しない物言いをズバズバ奮う。 「弖羅隊長~、いい加減茉莉に口の利き方指導してやってくださいよ~」 「噛みつき防止の口枷でもつけてやれ」 立てた片膝に頬杖を突いて桜を見上げている弖羅の横顔を、おにぎりを口いっぱいに頬張った茉莉は、睨む。 この二重人格サイコ野郎、噛みつきたくなるくらい夜通し俺に覆いかぶさっているのはどこのどいつでしょうかね。 鬼族の始祖である大江山の鬼、酒呑の血を引く弖羅。 凶暴な一面を隠し持つ彼に夜な夜な同衾を強いられている茉莉。 『誰も知らない、知るのはお前だけだ、茉莉』 『食べていいですよ、弖羅隊長』 本当は心の底から惹かれ合っている二人。 ただ、定めや性分が邪魔をして、イマイチ素直になれない……。 「美味しそうですねっ」 古桜を仰ぐ精悍な横顔に視線を奪われていた茉莉は我に返った。 「俺にも一口ください、茉莉先輩!」 和やかな花見の席に誘われて稽古場から駆け足でやってきた彼に、珍しく、端整な唇をやんわり綻ばせた。 「埜真斗」 「おー、<申>の新人クンじゃないの、おいでおいで、好きなの食べなよ」 「こらこら、君、稽古中だろ? あーでもしょうがないなぁ、オレンジジュース飲む?」 「食べますっ飲みますっ」 長身短髪、スラリとした長い手足で袴を卒なく着こなした、討伐部門<申>の爽やか新人隊員、埜真斗(やまと)。 嫌味のない人懐っこい性格で別隊の者からも可愛がられているアカデミー新卒枠の十八歳だ。 「がっついて腹下すなよ、埜真斗」 茉莉も埜真斗のことを気にかけていた。 新人は他にも入隊していたが彼だけは特別扱い、滅多に浮かべない笑顔を見せることもあった。 「ラーメン、ナルトもらってもいいですかっ?」 女性隊員に大好評である見てくれはどうでもよかった。 かつて埜真斗は家族を一度に亡くしていた。 目の前で鬼族に屠られたのだ。 自分自身と境遇が似ていた埜真斗に茉莉は共鳴した。 同じ哀しみを背負った同胞だと。 惨たらしい過去を抱えた上で明るく振る舞う一つ下の彼は眩しくて、あたたかくて、時にどうしようもなく荒む心を優しく癒してくれた。 一緒にいて心地がよかった。 「チャーシューは駄目だぞ」 「いやいや、チャーシューは副隊長の僕が食べるからね、茉莉隊員?」 「スープ全部飲んでもいいですかっ?」 「全部は駄目だからね、新人クン!?」 「何とも愉快な宴だなぁ」 その場にいたほぼ全員がぎょっとした。 新人・埜真斗の次に、いつの間にやら座に加わっていた存在に同時に気が付かされ、もののみごとに揃って硬直した。 唯一、昼下がりの宴に何の気配もなく訪れていた客人に気づいていた弖羅は古桜を見上げたまま口を開く。 「氏之々目殿、全員恐縮してる、あんたにとっては思いつきの他愛ないおいたでも隊員の心臓には堪える」 特高トップに座する本部長、氏之々目(しののめ)。 部隊長時代に顔面に深手を負ったらしく、常に能面をつけている、世にも面妖な司令塔。 姿を見ないかと思えば驚異の神出鬼没ぶりで忽然と現れる<マヨヒガ>の主だ。 「そう言うお前は春のまやかしにゆったり見惚れてるじゃあないか、弖羅」 「桜よりもあんたの方がまやかしじみてる」 「ふふ。お前は相も変わらずだねぇ」 長い黒髪を組紐で無造作に縛り上げ、着流しに長羽織という緩い出で立ちで胡坐を組んだ氏之々目、弖羅を隣にして楽しげに笑う。 特高トップを間近にして完全萎縮している隊員ら、ラーメンのスープをうっかり飲み干してしまった埜真斗を背後にして、ごはん粒を片頬にくっつけた茉莉は意味深に目を細めた。 氏之々目本部長殿と会うのは入隊式以来、か。 それにしてもいやに親しげな二人だ。 「とっとと桜吹雪に紛れて指令室に飛んでってくれよ」 ……<酉>の火稀隊長と関係があったことは聞きましたけど、まさか、本部長殿とも……なんてことはないですよね、弖羅隊長? 「日頃はひねもすのたりのたりかな、だけど私を前にした弖羅は容赦のない春雷みたいだねぇ」 ……もしもそうだったら掻っ捌いてやる。 翌日、討伐部門部隊を集めての合同訓練が行われた。 「俺が鬼役ですか、ッチ」 「本気でかかれよ、新人クン?」 「茉莉先輩に斬りかかるなんてできませんっ」 <マヨヒガ>の広大な敷地内にある雑木林にて実戦のシュミレーション。 先輩隊員一人が般若の面をつけて鬼役となり、新人隊員ら双方、身につけた粉袋をどちらが先に裂き終えるかというものだった。 使用するのは真剣だ。 入隊してほぼ一年、実戦を積んで討伐数も地道に重ねていった鬼役の茉莉に新人隊員らは接近するのも困難、鋭い刀裁きに気圧されて太刀筋を見極めることすらできず、粉袋を裂かれていく一方だった。 一人、泣き言を洩らしていた埜真斗だけが果敢に応戦していた。 ああ、やっぱりお前は残ったな、埜真斗。 失う痛みを知っているから、訓練だろうと、心構えが他の奴等と違う……。 「わぁっ!」 「よくやった、新人クン!」 茉莉の粉袋が裂かれて訓練は区切りがついたかと思われた。 「てんでなってない」 それぞれの動きをチェックしていた部隊長の一人が延長を言い渡す。 「俺とお前でだ、茉莉」 般若の面をつけて真剣を翳した弖羅と対峙することになった茉莉。 彼が埜真斗に手加減したことを見抜いて鬼族の血を引く部隊長が始めた鬼ごっこ。 正面を睨み据える激情の形相越しに容赦のない殺気で射抜かれて、茉莉は、足が竦んだ。 手にした刀を取り落としそうになるまでに狼狽した。 どうかしている。 あの漆黒の鬼と、弖羅隊長が、重なって見えるなんて……。

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