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君想フ故ニ我アリ-10

土曜日の夕方、晋也は盛んな蝉の鳴き声を至るところで聞きながら市内の美術館を単身訪れた。 開放感あるエントランスやギャラリー棟には緑豊かな植栽が見受けられた。 気紛れに立ち寄った屋上庭園にはブロンズの彫刻が点在し、芝で整然と緑化されており、柵まで近づけば広葉樹林の生い茂る広大な運動公園が車道を挟んだ正面に望めた。 ワークショップでも開かれていたのか、親子連れの集団が館内のカフェで談笑していた。 チケットをもらった企画展は立体作家という肩書きを持つ彫刻家の展覧会で、落ち葉や水や粘土などを素材とした素朴な展示物もあり、晋也には少々難解な作品群だった。 日頃こういった芸術作品とは縁遠い自分の日常を実感する。 半年に一度くらいは来るべきかな、と一つ一つを丁寧に鑑賞しながら思ったりもした。 時間をかけて企画展を見終わり、県内に在住する作家達の作品が数を占める常設展も覗いてから、晋也は遥にメールを打った。 「来てくれてありがとう」 間もなくしてカフェ近くのソファで待っていた晋也の元へ遥はやってきた。 「俺の方こそ。チケットありがとう」 隣に座った遥は首を左右に振り「学芸員さんにもらったものだから」と、言った。 スタッフの登録証を胸に提げており、相変わらず半袖にデニムというラフな格好をしている。 通り過ぎる際、受付スタッフの女性と挨拶を交わした横顔も普段通りの実に淡々としたものであった。 「今日、残業があって。六時半頃には帰れると思う」 「そうか。近くに店がいくつかあったから、そこで待ってるよ」 「うん。終わったら連絡する」 それだけ会話を交わして遥は晋也から離れた。 階下にある資料室へ戻ろうとする彼を受付スタッフが笑顔で呼び止めるのが視界に止まり、晋也はソファから恋人の後ろ姿を何気なく眺めていた。 短い遣り取りの後に遥はこちらを少し顧み、スタッフに何か告げて、展示フロアを去っていった。 晋也はもう一度屋上庭園へ出向き、乾いた熱風をしばし堪能して美術館を後にした。 車が行き交う国道沿いの舗道にはジョギングや犬の散歩をしている通行人が多数いた。 秋になれば黄金に美しく色づくであろうイチョウ並木を急がない足取りで進む。 ふと目をやると制服を着た二人組の少年が前方から歩いてくるところだった。 重たそうなショルダーバッグを提げ、双方ともペットボトル片手に楽しそうに笑い合っている。 高校生にしては幼い顔立ちだ。 恐らく中学生だろう。 二人と擦れ違った晋也は横断歩道を渡って外観が古めかしい喫茶店に入った。 窓際のテーブルに着いてアイスコーヒーを注文し、背もたれに背中を預ける。 ガラスの外に目をやると茜色に染まっていた空はすでに宵闇を抱き始めていた。 あの頃、ありのままの感情に気づいていれば俺と遥には違う十代の時間があったのだろうか。 歪んでいた方法でぶつけ合うのではなく、素直に想い、想われていれば……。 形の定まらない淡い思いが晋也の胸に広がっていく。 濡れたグラスの中で溶けかけた氷が音を立て、夕陽と闇の境目がいつしか曖昧となって夜の帳が街に下りても、晋也は身じろぎせずに喫茶店の隅で頑なにじっとしていた。 ガラスの外に満ちる暗闇の彼方にかつて遥を苛んだ裏庭での記憶を見つめていた。 「……」 バッグに入れていた携帯電話の振動で晋也は我に返った。 すかさず取り出して耳に当てると遥の声が流れ込んでくる。 居場所を伝えると「すぐに行くから」と返答があって通話は切れた。 十分も経過しない内に喫茶店へやってきた遥は走ってきたらしく肩で息をしていた。 「ごめん、遅くなって」 晋也は携帯電話のディスプレイを覗いて七時を過ぎていると知り、首を左右に振った。 「仕事だろ。仕方ない。それより、ほら」 晋也から手渡されたタオルハンカチで額を拭い、遥は正面に座った。 水を持ってきてくれた店員にアイスコーヒーを注文して展覧会の感想を尋ねてくる。 「どうだった?」 「……ああ。あの落ち葉のやつとか変わってたよな」 「それと受付の人が町田さんに恋人いるのかって」 「え?」 「いるって答えた」 「……美術館は屋上がよかったな。景色がよくて」 「僕も時々行く。来週の花火大会の日には夜間開放するみたい」 ピアノソナタが緩やかに流れる喫茶店を後にしたのは八時丁度だった。 まだ通行人が疎らにいる舗道を並んで進む。 夕食はどこで食べようかと晋也が聞くと遥は「この間食べた蕎麦がおいしかった」と答えたので、その蕎麦処へ行く事にした。 「でも、ずっと外食だね」 「確かにそうだな」 「寒くなったら鍋作るから。一緒に食べよう」 「俺の部屋で作るとしたら、まず土鍋買わなきゃ。食器も増やさないと」 車道を走り過ぎる車のライトに遥の横顔が照らされている。 隣を歩いているので時折腕がぶつかり、夏の夜の些細な触れ合いに晋也は微かな欲望と色褪せない想いをそっと抱いた。 「明日、昼飯食べたら買いにいこうか」 前を向いていた遥はおもむろに晋也を見上げて頷いた。 遥を見下ろしていた晋也はそんな恋人に笑いかける。 なぁ、遥。 歪んだ屈折を経たからこそ、ありのままでいられる今がこんなにも大切で愛しく思えるのかな。   end

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