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AWAKEN EYES-5

凍てついた暗がりに熱い吐息が反芻される。 シャンデリアのクリスタルが写し出すその光景の名は、狂気。 尋常ならぬ欲望で飾られた長椅子は甘い悲鳴と共に絶え間なく軋む……。 「サエラ……」 肩甲骨が盛り上がった、ひどく肉食獣じみた背中を汗で濡らして、亥月は眼下のしなやかな背に伸しかかっていた。 サエラは口腔に差し込まれた中指と人差し指を食んで、染み渡っていく血の潤いに我を忘れる。 幾度となく貫かれ穿たれようとも抵抗の念は湧かず、亥月にされるがままであった。 中空にいた太陽が再び大地に呑まれ、時は逢魔が刻となった。 それまで姿を消していた黒衣の其れがふと隅の物陰から現れて、館中の暗幕を厳かに開き始める。 耳障りな音は一切なく、誰に邪魔されるでもなくその作業は淡々と進められていった。 眠りについていたサエラは睦言を洩らし、微かに震えて、そっと目を開く。 亥月はやはりその場から消え失せていた。 「……」 サエラは裸身にかけられていたガウンに腕を通し、前を締めた。 厨房から聞こえてくる物音で彼の動向には察しがついている。 湿った髪を物憂げにかき上げながら口内に残る血の余韻に一瞬恍惚となり、上顎へと滴り落ちていた赤い雫を手の甲で拭って、素早く舐め上げた。 「……はぁ……」 サエラは影を呼んだ。 不気味な様態で主へと近寄り意思を汲み取った其れは、大広間を後にして館を出、遥か遠くにある街へ向かうため森に蔓延る宵闇の中を目にも見えぬ速さで駆け抜けていった。 やがて、間もなくしてサエラ自身も館の外へと降り立った。 張り巡らされた鉄柵の向こうでは微弱な風が森と戯れている。 群れで暮らす銀狼の遠吠えは闇の訪れを祝福するノクターンさながらであり、上空で瞬く月と同様、夜の帳を玲瓏に見せていた。 錆びついたノッカーが取り付けられた扉を閉めると、サエラは落葉で散らかる緩やかな石段を進んだ。 か細い足首の儚さが月夜に際立つ。 夜の光を浴びた秀逸な美貌は普段以上に冴え冴えとしていて、問答なしに命を奪う冷酷な死神でさえも虜にしてしまいそうなくらいだった。 数世紀振りに血を飲んだ事も起因しているのだろう、普通の人間ならば見る間に総毛立つ美しさをその身に纏っていた。 沈黙が語り合うばかりのガーデンセットを横目に、精微な造りの黒い鉄柵を潜り、蔓草に侵食された廃墟同然の外観である館に背を向けてサエラは深い森の中を行く。 風に乗って、せせらぎの音が聞こえてきた。 川があるようだ。 進むにつれて音色は次第に大きくなり、サエラは剥き出しの足に傷一つつくる事なく、その神秘的な川岸に辿り着いた。 滝があった。 地上の窪みに透き通った水がなみなみと湛えられていて、底には仄白い光を発する砂礫などが沈んでいる。 流水の勢いはそこまで急ではないが、昔に流れ着いたと思われる荒く削られた岩石が所々にあり、獣達にとっては手頃な休憩場所に適していそうな水辺だった。 サエラは肩からガウンを滑り落として、冷えきった水の中に己の体を投じた。 生い茂る木々の枝葉越しには月が覗く。 吹く風に重なるのは大地を駆ける獣達の足音やその息遣い。 いつも以上に研ぎ澄まされた五感。 これは、あの者の血を飲んだ故……? 「大胆だな、お姫様」 肩越しに、サエラは川岸に立つ亥月を視界に写した。 「こんな冷たい水に入浴かよ。禊じゃあるまいし……ちゃんと浴室があるだろ?」 「ここがいい……昔からこうしてきた」 「へぇ、じゃあお気に入りの場所なのか。あんたにも特別な思い入れとかがあるんだな」 フードを目深に被った亥月は一際大きな岩石に軽々と飛び上がり、上流からなだらかに注がれる滝へと目をやった。 流れの中央で腰を据えているサエラは亥月の横顔を見上げる。 その長い髪は水面に浸り、生あるもののように揺らめいていた。 「いいところだな」 「……そうだな」 「俺も入っていいか?」 わざわざ問いかけてきた亥月にサエラは微苦笑した。 好きにすればいいと頭上に告げて、戯れに透明な水を掬い、また流れへと注いで還す。 亥月は岩の上で佇んだまま水に身を委ねるサエラを眺めた。 「あの館やここが好きなのか?」 何気なく戯れを繰り返すサエラの指先から、水と共に自分の運命が奈落へと堕ちていくような幻想を、亥月は密かに抱く……。 「森の外に興味は? 全くナシか?」 サエラが頷く。 亥月は「そうか」と呟き、いつの間に取り出していた刃を手の内で弄び始めた。 左手首の皮膚を裂く際に使ったもので、柄の部分にはシルバーのクロスが装飾されている。 彼はそれを袖口やブーツの内側に忍ばせて、どんな時でも間髪入れずに取り出せるようにしていた。 「でも、森の外はあんたと違う」 亥月の台詞を耳にしてもサエラは他愛ない戯れを続けた。 その優艶な仕草に目を奪われて、何もかもがどうでもよくなって、亥月は話そうとしていた事柄を喉の奥へ押しやった。 髪をかき上げたサエラは、小さく吐息し、水面を震わせてゆっくりと立ち上がった。 亥月は川岸に着地して、流れから上がったサエラをガウンで包んで迎えた。 「なぁ、キスしていいか?」 その意味がわからないサエラは亥月に率直に問う。 すると亥月は少し笑って、自分とサエラの唇を交互に指差した。 「ああ……したいのならすればいい」 「……本当に何も知らないんだな、あんたは」 亥月はしっとりと濡れたサエラの頬を両手で包み込んだ。 淫夢魔の血を引くためか、唇や首筋の傷はもう殆ど治りかけの状態にある。 指先の方はまだ時間が然程経過していないので裂け目に血が滲んでいた。 サエラはそれを見、乱杭歯が疼くのと同時に胸に自虐的な思いを蟠らせて、ぽつりと零した。 「私は卑しいな」 亥月は、翳を帯びて愁いに沈んだサエラの双眸に自分を写し、言う。 「あんたは綺麗だよ」 「……」 「いくら罪を犯そうとも、きっと、な」 薄く開かれていた紅い唇に亥月はその言葉を注いだ。 物欲しげな舌先が、さらに抉じ開けて、サエラの舌を求め徘徊する。 鮮明な意識の時に口づけられるのは初めてであり、サエラは少し戸惑う。 口の中に覚える違和感は不快なようで、それでいて温かい。 鳴らされる湿った音は妙に耳について、鼓膜を刺激する。 目を開けたままでいると、それまで瞼を閉ざしていた亥月がふと金色の双眸を覗かせ、サエラと目を合わせて笑んでみせた。 「……ン」 下唇を甘噛みされてサエラはか細い声を洩らした。 慎ましい曲線を描くくびれから手を回し、ガウン越しにサエラの腰を抱き寄せて、亥月はその唇を心行くまで味わう。 溢れた唾液を追って下顎に降下し、首筋を嬲って、また舌と舌を繋げ、その次に耳朶へ逸れると犬歯をきつく食い込ませたりした。 「あ……ッ」 亥月の血を飲んで迎えた朝、私は言い知れない感情に襲われた……。 あの時と同じだ。 「……冷たいな、やっぱり」 亥月は歯列で柔い肉を噛み解しながら、腰に回していた両手の片方を肌に沿って動かし、サエラの下肢の正面へと忍ばせた。 「ッ……、亥月」 触れられたサエラは身震いする。 少し上に位置する亥月の目を強張った双眸で見上げ、拒否の言葉を述べようとした。 「血を飲まないで感じてみろよ」 サエラの腰を抱くもう片方の手に力を加えて、亥月は正面に伸ばした五指を淫らに蠢かせる。 「ぁ……ッ」 「きっと、悪くない……そうだろ?」 掌で優しく包み込まれて淫猥な摩擦を与えられる。 サエラは身を捩った。 やり場のない両腕を亥月の逞しい背に回して、その先端を擽られる度に切なげに眉根を寄せた。 「……どうして……こんな……」 濡れていた蒼白の肌が次第に朱を含んでいく。 その変化は壮観だった。 亥月の我欲を肥大させる、何よりも華麗な色彩だった。 「あんたが俺に感じているからだ」 亥月は先程まで自分が立っていた岩にサエラを寄りかからせた。 そして跪くと、熱く息づくサエラの楔に、唇を寄せた……。 「……!」 サエラは仰け反った。 唾液を纏った舌尖に舐られて、際どく濡らされるその愛撫に狼狽し、同時にえもいわれぬ昂ぶりを感じて嘆息した。 「い、亥月……、ぁッ」 絞り込まれるように握られて、サエラは片頬を岩肌に擦らせて悶え、甘い悲鳴を上げた。 「ッ、……はぁ、ぁ……ッ」 無意識にガウンの下から艶やかな腕が伸びて、亥月の髪を掴む。 零れ出た白濁の蜜を吸い上げて、亥月はその火照りの隅々までも蹂躙し尽くそうとする。 深く口にしては隈なく湿らせて、咀嚼し、卑猥な音色を立てて淫佚にしゃくり上げた。 「あぁ……!」 サエラは亥月の口の中で果てた。 吐精されたものすべてを飲み干して、口元を拭い、亥月は途切れ途切れに掠れた呼吸を反芻するサエラの真正面に立つ。 鼻梁にかかっていた長い髪を耳の後ろへ分けて、血で理性を忘れ去る時とは違う、しどけなく乱れたサエラの瞼にしばし見惚れた。 目を瞑っていたサエラは、厳かに瞼を持ち上げて亥月を見、そして亥月の肩越しに広がる木立の奥深くを凝視した。 「どうした?」 サエラはもう正常な呼吸を取り戻していた。 五感を研ぎ澄ませ、案じるべき異変を察知し、空を切るような足取りで館の方角へと歩き出す。 誰かが傷ついている……。

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