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AWAKEN EYES-7

遥か昔に思いを馳せる。 「こことは別の森……もっと街に近い場所。私はそこで血の繋がりある者達と暮らしていた。まだ年端もゆかない子供の頃だ。その館の主は永い歴史を歩んできた女神……聡明で美しく、夜の神秘を授かったような崇高さを秘めていた。奇跡と呼んでも過言でなかった、その秀麗さは……」 「好きだったのか」 異様な静けさと冷ややかさに満ちた沈没船を思わせる館の片隅で、亥月は唯一の灯火じみた金色の双眸を憂鬱に光らせる。 「……ああ、誰よりもいとおしかった」 サエラは目を瞑り愛しい人の最期を思い出す。 「私の母だった」   「愛しい子、私はもうじき終焉を迎えるでしょう」 回廊の途中、三日月に祝福されたステンドグラスの下で己の死期を悟った女吸血鬼は最愛なる子供に告げた。 「この屍は灰に……それで、私はこの狂おしい戒めから完全に解き放たれる」 「母は美しいまま死んでいった」 黒塗りの棺に横たえられた彼女の亡骸は生前よりも何故か幸せそうで、微笑をも浮かべていた。 サエラはワインの残るグラスの向こうに愛しい人の死に顔を見、その幻想に自嘲する。 「彼女は屍を灰にしてほしいと願った。地下にある冷暗の墓所にではなく、太陽の光に曝し灰にして、この世界に骸を留めないようにと」 しかし私は何をした? 荊が巣食う庭園の中央に置かれた棺へ、近づいて、彼女の首筋に。 「……その時期、私はひどい渇きに悩まされていた」 安らかな終わりを遂げて何もかもを無に帰そうとしていた彼女の首筋に噛みついて。 血を飲んだ。 「夜明け前だった。私は館の中へ皆に連れ戻され、次の夜に放逐された。そしてここへやってきた……独りの暮らしが始まった」 「それは裏切りなのか?」 「そうだ、美しい亡骸を血で穢した」 「あんたが殺したわけでもないのに」 亥月はそう口にした。 無造作な手つきでグラスにワインを継ぎ足すと一気に飲み干し、依然として斜め下を見つめたまま抑揚のない口調で、 「それが裏切りになるのか、罪になるのか……じゃあ俺は何だ。俺は……」 亥月はそこで話すのを中断し、厨房の出入り口に立った漆黒の其れを横目で捉えた。 立ち上がったサエラは己の分身としばらく向かい合い、眼差しを伏せる。 「客人だ」 「……もう来やがったか」 亥月は口元のみで笑い、グラスに次のワインを注いだ。 黒の鉄柵が開閉される音を耳にして、サエラは亥月を厨房に残し、大広間へ移動して長椅子の上に腰を下ろした。 足音で人数はわかる、三人。 よからぬ懸念が瞬時にして湧き起こる。 サエラは、どうするでもなくその懸念を噛み締めた。 彼に話した……。 不吉な暗影に苦々しくなる中、ふと、サエラは先程の自分の言動を思い起こして呆然となった。 話すつもりなど毛頭なかったのに、恥ずべき過ちであったのに。 「愚かだな、私は……」 サエラは独り言をこぼし、広々とした窓辺を覆い尽くす暗幕に目をやった。 初めて訪れた時からこの館は頑丈な暗幕で太陽の日差しを遮断していた。 住み慣れた場所から追放され、夜はひたすら鬱蒼と茂る木々の下を当てもなく彷徨い、夜明け前になればみすぼらしい穴蔵の奥で縮こまって日中を過ごしていたサエラにとって、ここは願ってもいない新居に値した。 恐らく自分と同じ立場の者が住んでいたのだろうと、サエラは思う。 火をくべた形跡のない暖炉。 布で隠された姿見。 薄暗いシャンデリア。 まるで死を迎えるためだけに日々を浪費していったような虚無感が館のそこら中に漂っていた。 今の自分と何一つ違わないーー。 「何だ、まだ生きてるじゃん」 玄関と大広間を繋ぐ両開きの扉が勢いよく開かれて、招かれざる闖入者は、主であるサエラの前へ忽然とその身を現した。 「先遣隊はどうしたワケ、本部の分隊が迫ってきてるっつぅのに」 「……職務怠慢だな」 真っ赤な髪を後ろできつく縛り、腰の革紐に長剣を差した男と黒いスーツを着た細身の男。 そして玄関口から聞こえてくる足音を入れて、三人。 解決策を見出せずにサエラはその二人を力なく眺めた。 スーツの男が胸に垂らしているクロスを目にした際にも瞬きする程度の反応を見せただけであった、だが、しかし。 「とんだ言い草だな、あんた方」 その声を聞いてサエラの双眸は束の間の混沌に嵌まり込む。 しかしながら次の瞬間には正気に戻り、顔を傾けて、柱時計の前に立った亥月の方へ視線を走らせていた。 「こっちは単独でこなしてるんだ。のらりくらり進行してるノロマ共にあれこれ言われる筋合いはない」 「……使役されてる分際でその態度か。目に余るな」 黒スーツの剣呑な物言いに亥月は不敵に笑ってみせた。 ジャケットのポケットに両手を突っ込んで窓辺へ歩み寄り、サエラの座る長椅子を挟んで二人と向かい合う。 サエラはただ黙って彼の口元に刻まれた毒々しい歪みを正視していた。 「で、もちろんコレも妖魔なんでしょ?」 黒スーツの隣にいた赤髪が締まりのない物言いで亥月に訊いた。 「また相当な美人だよねぇ、コレ。一体何なの。やっぱ吸血鬼?」 「まぁな」 「ふぅん。この間死体は見たけど生で見るのって初めてかもなぁ」 サエラは、聞き捨てならない悪意ある台詞を耳にしてアイスブルーの双眸を戦慄かせた。 その様子を目撃した亥月は歪んだ笑みを消して、掌の皮膚に立てた爪に更なる力を込める。 「……死体?」と、サエラは虚空に向かって聞き返した。 「そ、死体。コイツがナイフで喉を掻っ切って瞬殺した吸血鬼共。とってもお美しい亡骸だったよ、でも生きてる方のが綺麗だね、やっぱり」 赤髪が指差した先を視線で辿り、サエラは窓辺にいる亥月を再度見やった。 大広間の端に立つ彼は傍観者さながらの表情を浮かべているように見て取れる。 ポケットから出された手にはナイフが光っており、指先の間で鋭い刃を手持ち無沙汰に弄んでいた。 「本当か?」 サエラは問うた。 「殺したのか、私の仲間を?」 「仲間じゃないだろ」 亥月は答える。 驚愕に満ちたサエラの顔に視線を奪われて、逃れられぬ運命の重さに圧殺されかけている自分を嘲りながら。

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