210 / 259
AWAKEN EYES-8
「あんたを追い出したんだ、そんな奴等が仲間と言えるか? でもまぁ、最期くらい教えといてやるよ。どいつもこいつも苦しまなかった。いとも容易く呆気なく死んでいった」
亥月はいくつかの名前を挙げた。
サエラには聞き覚えのある、かつて同じ館で暮らしていた一族の者達の名であった。
「ああ、そういう事なワケ」
ふてぶてしい沈黙を守る黒スーツとは反対に、赤髪は興味ありげな目つきで亥月とサエラを交互に見比べた。
左手に填めている、クロスが裏彫りされた二重構造のリングを噛んで思わせぶりな笑みを浮かべて。
「おかしいと思ったよ、あの殺し屋亥月が妖魔を生かしてるなんてさぁ。でもまぁ確かに、こんなにお美しかったらお前の腕も鈍るだろうねぇ」
「父親を殺した輩でも躊躇する事があるんだな」
両腕を組んだ黒スーツは事もなげにそう吐き捨て、亥月に冷然と命じた。
「殺せ、亥月」
長椅子に座るサエラは他人事のようにその命令を聞き流した。
一向に顔色を崩さない亥月の目を見つめ、片時も逸らさないで。
その鋭い眼の奥に願って止まない答えを追い求めるように。
「『教会』は全妖魔の滅亡を望んでいる。あの預言は我々人類にとって末恐ろしい破滅の兆しであるからだ」
黒スーツは高慢な態度でサエラを尻目にかけ、忌々しげに眉間に縦皺を立てた。
「すでに主だった都市の駆除は本部・支部の方で済ませている。特異能力を活かして大富豪に成り上がった上級妖魔共、歓楽街で名を馳せていた妖婦共も皆処刑してやった。依然、片付いていないのが前人未到の領域であるこの森林地帯や砂漠地帯だ。そこで先遣隊を送った。追跡者である我々は前もって立てられた計画通りに任務を遂行するお前の跡を辿り、残された無駄のない働きを先々で確認してきた。それを今、目の前で披露してみせろ」
「ま、お前が無理なら俺がやってあげてもいいけど?」
唐突にぞんざいな手つきで赤髪に顎を持ち上げられ、サエラの視線は亥月から離れざるをえなくなった。
「やめろ」
呟きと聞き取れつつも有無を言わせない声が薄闇を震わせる。
「そいつの運命は俺が下す」
亥月は、動いた。
窓辺から長椅子へと直進してサエラの上体を肘掛に荒々しく押しつけ、彼の上へと跨る。
そして手にしていた刃を持ち替えるなりすぐさま喉元にあてがった。
「あれ、もう殺しちゃうワケ?」
背もたれに片手を突いた赤髪が亥月の後頭部を見下ろしながら憫笑した。
「最後のお別れは? 一発ヤんなくていいの?」
「もう十分満喫したから必要ねぇよ。この上でだって経験済みだもんな、なぁサエラ?」
刃と白い皮膚との間に数ミリの隔たりをおいて亥月は口元に残酷な笑みを浮かべた。
沈黙したサエラは、真上に迫ったその眼に意識までも攫われる。
心底に眠った彼の者の本心を暴く、鋭すぎる感情の水鏡に。
「ほんのお遊びさ、高潔な生きモンを汚してみたかっただけ……まぁその辺の商売女よりかは楽しめたな。血に狂った、倒錯的でイカれたプレイ。素人なら虫唾が走る事間違いなしのショーだよ……本当……」
微塵も表情を崩さないサエラに惑わされてどちらが劣勢にいるのかわからなくなり、亥月は両目をきつく閉じた。
「……さっさと済ませろ、亥月」
露骨に顔を顰めた黒スーツがサエラの足元で促す。
亥月は、直ちに現実に還ってその鋭い眼を見開かせた。
「一つ、お前等に質問がある」
「質問だって? 一体何ですかね?」
頭上から赤髪の声が降り注ぎ、亥月は長椅子にサエラを押しつけた状態のまま次の言葉を紡いだ。
「銀狼にナイフを放ったのは誰だ?」
赤髪は予想もしていなかった質問の内容に目を丸くした。
一方、黒スーツはせせら笑い、革手袋を嵌めた手で胸に下がるクロスをいとおしげに撫でた。
「卑しい獣の分際で自由に森の中を駆けていた……だから裁きを下した。許されない事だろう、信仰を持つ人間だけが自由という貴い権利を与えられているのだから。薄汚れた獣なんぞは一生地べたを這いずり回っていればいい」
「ああ、そうか……お前が放ったんだな……コレを」
サエラの喉元に突きつけられていた刃が亥月の目の光を反射して、鈍く煌めく。
「返すぜ、今な」
それは目にも止まらぬ速さだった。
かわすタイミングさえ掴めずに黒スーツは片方の視界を遮断され、片方の視界で、半身を捻りこちらを向いている亥月の姿を認める。
黒スーツの左目には彼自身が銀狼に放ったはずの刃が無情にも深々と突き刺さっていた。
「お前のせいでサエラの血が流れた」
亥月は苦痛に射竦められている黒スーツを目にしたまま背後に手を伸ばし、突然の出来事で直立しているしかない赤髪の長剣を奪う。
鞘はそこに残して長椅子から跳躍した。
狙うは頭部と胴体を繋ぐ部位。
恐怖も躊躇も抱かずに亥月はそこ目掛けて一閃した。
「腹が立つ、本当」
切り離された頭が音を立てて絨毯の上に落ちる。
掌に慣れた肉を断ついつもの感触に亥月は低く吐息する。
切断面から鮮血を噴出させる胴体を見、サエラの双眸は否応なしに妖魔の性を取り戻した……。
「亥月、お前……!」
やっと我に返る事ができた赤髪は衝撃を言葉に表そうとする。
亥月はその時間すら与えず、代わりに標的の胸部へ五本のナイフを惜しみなく与えてやった。
「喋りたいんなら同時に戦闘体勢入っとけよ」
妖魔の血肉を散々啜ってきた長剣が人間の血で濡れていくのにどうしようもない矛盾を覚え、すぐ近くにまで忍び寄りつつある死神の気配に絶望し、赤髪はその場に膝を突いた。
「『教会』を……裏切るなんて、馬鹿だ……死ぬぞ」
「馬鹿だな。死ぬのはお前だ」
亥月の言葉に赤髪は笑った。
そうして脱力し倒れ伏して、死神にいざなわれ肉体を残して去っていった。
噎せ返るような血の匂いが辺りに満ちていた。
長剣を無造作に放り投げた亥月は、長椅子から降りて首のない死体へ近づこうとしているサエラに息を呑む。
急いでその体を自分の両腕の中に閉じ込め、叫んだ。
「その血は飲むな!」
亥月は半ば無理矢理サエラを抱き抱えると、凄惨たる血の宴が開かれた大広間を後にし、螺旋階段を駆け上がって底冷えする通路へ逃れた。
玄関から外へと走り去っていく足音をかろうじて耳にしたが追う気分にはなれない。
今、このような態のサエラを一人置いていけるわけがなかった。
「……知りたい程度の関心しか持ってないんだな、あんたは」
俺が侮辱しても罵倒せずにただ見つめるだけで、失望も驚きもしていないようだった……。
お前にとって俺はその程度の存在なんだな、サエラ。
「う……ぅ」
サエラは、大量の血に誘惑されて正気を失っていた。
その上、強烈にこみ上げてきた本能に従順となって吸血行為に及ぼうとしたら、妨げられ、離されたので、あの銀狼の仔のように恐ろしく殺気立っていた。
サエラはすぐ目の前にある亥月の首筋へ噛みついた。
「ッ……」
よろめいた亥月は通路の壁にぶつかった。
サエラを抱えた両腕に力を入れ、何とか倒れまいとして背中と足で自分の体を支える。
牙はいつも以上に無慈悲に貪欲に穿たれており、吸われる量も今までと比べて著しく増しているようだった。
それでも亥月はサエラを離そうとしなかった。
ともだちにシェアしよう!