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AWAKEN EYES-9

「この手で親を殺した……。他にも、たくさんの命を。だから俺は血で汚れてる……綺麗なあんたとは違う」 これは私の懺悔ではない。 私を悩ませる悪夢はもうここから過ぎ去った。 どうして、何故……? 「……起きたのか?」 その声音に、サエラの視界は鮮明さを得、寝台の傍らにいる亥月を正確に捉えた。 「……亥月」 「よく眠ってたな……あんたの寝顔は見飽きない。おかげでもう真夜中だ」 サエラはただならぬ気配を感じ取って起き上がった。 森が騒がしい。 土を蹴る蹄の音や大勢の重々しい足音、追い立てられる獣達の激しい息遣いが響いて静寂を乱している。 暗幕の開かれた窓から覗く風景はいつもと同じなのに……。 「『教会』の分隊が来てる。獣や妖魔を一掃して開拓するため……ここにもじきやってくる。逃げた奴が正確な位置を垂れ流したはずだからな」 「……あの者達は」 「俺が殺した奴等なら……あんたの影が外に埋めてたぜ」 何かがおかしい。 館の外もそうだが、ここもどこか……違和感がある。 サエラは天蓋越しに亥月を注意深く見つめた。 「……俺は、行く。奴等に拾われた恩はあるがな、もううんざりだ……すべて壊してやる」 「亥月、お前は……」 天蓋を払いのけ、サエラは亥月の真ん前に立った。 正気を失う前に目にしていた姿と何一つ違わない、どこも同じだ。 だがしかし外側とは別のところで明らかな異変を来たしている。 「もしかしたらあんたは本当に選ばれし妖魔なのかもしれない」 やっとサエラは気がついた。 「わ、私は……お前の血を一体どれだけーー」 「この世界を覆す程の力を持った妖魔が現れるんだ」 多くの血を奪われた亥月は膨大なる疲労と苦痛に苛まれながらも、決してそれらを表層に出さず、動揺しかかっているサエラに淡々とした口振りを努めて告げた。 「あんたは何世紀も生きてるんだろ? その永さに相応する力があるかもしれない。『教会』はその一人を潰すためだけに妖魔すべてを血眼で根絶やしにしようとしてる、でも、あんたは死んじゃいけない……この馬鹿馬鹿しい世界をぶっ壊したらいい」 「……戯言だ」 亥月に犯した己の過ちを思い出せずにサエラは苦悩する。 『教会』に示された預言などどうでもよかった。 この命がどうなろうとも。 この世界がどれだけ荒れ果てようとも。 「……悔やむなよ、サエラ」 近づいてくる喧騒が耳障りで仕方がない。 「あんたに血を奪われる事で、俺は体中に染み着いた犠牲者の血も……自ら纏った穢れも落とされていくような気がした……幻想に過ぎないがな」 もう少しでお前が何者なのかわかりそうなのに、亥月……。 「でも、救われた」 亥月は黙って項垂れているサエラの髪に触れた。 「……どうしたんだよ。俺があんなに侮辱したって目も逸らさなかったくせに」 「あの言葉に意味などなかった」 私は見たのだから、とサエラは続けた。 「あの夜、お前は涙を流していた」 「……涙?」 「そうだ、倒れていたお前は眠りの最中で泣いていた。私は確かにそれを見た」 顔を上げたサエラは少し驚きの表情を見せている亥月に告げる。 「その涙がお前を浄化している。いつだって、心で泣きながら絶ってきたのだろう? だからお前は穢れてなどいない」 サエラに触れていた亥月の手が離れていく。 「俺が死んだら……」と、鋭かった双眸に静かな笑みを湛えて彼はサエラに願った。 「俺の血を飲み尽くしてくれよ、サエラ」 そして彼の者は行ってしまった。 もうじき夜が明ける……。 天蓋の中、寝台の上で蹲ったサエラは虚ろな瞬きを繰り返す。 館を去った亥月の後ろ姿が瞼の裏から離れない。 彼は、そんな一向に色褪せない残像をぼんやりと眺めていた。 彼がいなくなり、ここへ横になって、私は何を考えていただろう……。 サエラは端然と設えられたシーツを掴んだ。 その左腕には包帯が巻かれている。 幼い銀狼の仔に噛みつかれた後、亥月が屋敷中を探し回って見つけ出したものであり、問答なしに施してくれた処置の跡であった。 「……亥月」 いつの間にか永遠の戒めを意識しなくなっていた。 回想に囚われず、太陽が昇ろうとも絶望せず、ただその瞬間を生きていた。 「お前がいてくれたから……」 命を焦がす脅威なるものの臭気がサエラの部屋を訪れた。 蹲っていた主は身を起こして足早に寝台を離れ、窓辺に立つ。 どこまでも広がる常緑樹の海に赤々とした灯火が点在していた。 不安を募らせるあまりの忌まわしさにサエラの瞳は釘づけとなった。 『俺が死んだら……』 心臓が騒ぎ出す。 然程遠くない灯火を反射するガラスに添えた指先が震え、受け入れ難い予感に慄く。 『俺の血を飲み尽くしてくれよ、サエラ』 最初の眠りから目覚めたお前に私は何と言った? あの言葉を忠実に守ろうというのか、亥月? 『ここを出たら二度と戻ってこないでほしい』 サエラは、部屋を飛び出した。 間もなくして暗幕に包まれるはずの真紅の通路を走り抜け、螺旋階段を駆け下り、血の匂いが沈殿した大広間を横切って玄関から外へと疾走する。 長い髪は靡いてガウンの裾が猛禽類の翼のように翻った。 これ以上ないといったくらいにざわつく胸を押さえ、その手をも未だ震わせてサエラは木々の狭間をひた走る。 流れてくる火の臭気が強くなった。 飛び交う怒号と悲鳴、そして笑声。 邪な人間の欲望が渦巻いて世にも劣悪な不協和音を奏でている。 傷口から臓物を食み出させた幾つもの死体の傍らを擦り抜けて、紅蓮の炎で燃え上がる木々の下を潜ろうとした矢先、サエラは亥月の声を見つけた。 「もう……血は見飽きたんだよ」 掠れた、弱った声だった。 同時に彼の血の匂いも流れ込んでくる。 亥月は戦ったのだ。 目撃していないはずのサエラの脳裏にその様は何故かありありと蘇った。 明らかに劣勢であるにも関わらず彼は立ち向かい、行く手を阻む兵達の顔を苦痛に歪ませる事なく一撃で絶命させ、自分の血がいくら垂れ流されようとも果敢に攻撃し続けた。 己を縛る戒めから解き放たれるために。 「亥月……!」 サエラは哀願した。 誰に届けていいのかもわからなかったが心の中で幾度となく繰り返し願った。 お願いだ、どうか彼をこの地上から奪い去らないでくれ。

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