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獏先生の夢カウンセラー/獏先生×患者/微ファンタジー
「あの男が追ってくるんです」
泉原純 は初めて対面するカウンセラーの前で少々躊躇いながらも俯きがちになって話を始めた。
「会社帰り、街で買い物をしている時、とにかくどんな場所でも私を見つけ出し、執拗に追いかけてくるんです」
清潔感のある、淡々しい色彩を基調とした広い室内の端に置かれた座椅子の上で、純は少し荒れた爪を掌に立てて眉根を寄せる。
「そして私はどうしてもあの男に捕まってしまう……逃げ切れません。どんなに走っても」
「それは怖いですね」
隅に配されたデスクの上は綺麗に整頓されている。
ハーブティーの入ったティーカップからはまだ湯気が仄かに漂っており、部屋には独特の香りが満ちている。
「そして首を絞められるんです。容赦ない力で、ぐいぐい」
「それでどうなるのです?」
「そこで、目が覚めます」
カウンセラーは手を伸ばし、デスクの上にあったティーカップを持ち上げてハーブティーを一口啜った。
「彼は、留置所の中で首を吊って死んだんです……。三年前ですが、当時は本当に毎晩眠れなくて、何をやっても彼の事が頭から離れませんでした……。殺されかけた事も怖かったし、彼が自殺した事も……私はつらかった」
青白い頬に涙が落ちる。
しかし純はカウンセラーの締めている趣味のよいネクタイを目にしたまま、身動き一つせずに話を続けた。
「やっと、最近になって眠れるようになりました……でも……今度は夢の中で彼に襲われて……どうしようもない罪悪感と恐怖が募るばかりで」
「貴方が罪の意識を覚える事はありません。悪いのは彼ですよ」
「でも……別れを切り出したのは私で……彼は死んでしまったし……」
カウンセラーは黒縁の眼鏡をかけなおし、デスクの上にティーカップをゆっくりと戻すと、純に言った。
「泉原さん、ちょっと眠ってみましょうか」
突然の提案に純は涙の跡を頬につけたまま目を丸くした。
木漏れ日の差す窓の外からは囀る鳥の鳴き声が聞こえてくる。
「ええ、貴方、眠ったらその男性の方の夢を見られるのでしょう?」
「は、はい……そうですが」
「ではその夢を見ない方法を教えてさしあげますので、ここで実践してみましょう」
「ここで……ですか?」
そもそも眠れるかどうかもわからない。
純は寝不足のために厚ぼったくなった二重の目を見開かせてただ呆気にとられるばかりであった。
カウンセラーは立ち上がり、壁際にある布張りのソファへと彼を促した。
「はい、靴を脱いで横になってください……大丈夫、きっと眠れますよ。体の力を抜いて楽になさって」
「は、はい……」
とりあえずカウンセラーの言う通り、純はさわり心地のいいクリーム色のソファの上へ横になった。
するとカウンセラーは彼の真横に佇み、人のよさそうな笑顔を浮かべた。
「目を瞑ってくださいね……そうしなければ眠れませんよ」
その言葉に純も少し笑い、腹部の上で両手を組んで目を瞑った。
瞑ってみると、どうした事だろう。
それまで眠気を感じていなかったはずが、みるみる思考が遠ざかり、瞼の裏にふわりとヴェールがかかった。
「さぁ、もう眠れます……安心して身をゆだねてくださいね」
ちょっと待ってくれ、まだ方法を教えてもらっていない……。
純はかろうじてそんな事を思いはしたが、それを言葉にする余裕はすでに失われており、彼の意識は一瞬にして睡魔の触手に絡め取られた。
「……おやすみなさい」
カウンセラーは心持ち顔を伏せ、黒縁の眼鏡をおもむろに外した……。
目を開くと人のよさそうなカウンセラーの笑顔がすぐ頭上にあった。
「おはようございます。お目覚めはいかがでしょうか?」
純はそっと起き上がった。
どれだけ眠ったのだろう、随分と時が経ったような気がするが……。
「五分程眠っておられましたよ。で、どうでしたか。夢の方は?」
「いえ、全く……」
そう、全く。
純は夢など一つも見なかった。
ぐっすりと熟睡した気分であり、頭の中は冴え冴えとしていて非常に爽やかな気分であった。
「これで貴方が悪夢を見ることはもうありませんよ」
カウンセラーの言葉に純は驚き、そして、心から笑った。
純が軽やかな足取りで緑とコンクリートの隣り合う閑静な通りを歩いていく。
白衣のポケットに両手を突っ込んだカウンセラーは、窓辺に佇んで、彼の後ろ姿を満面の笑顔で見送っていた。
「ああ、あの夢は殊更美味……すごくいい……久々に満腹……」
黒縁の眼鏡が日の光を反射してキラリと光る。
男の肩書きはカウンセラー。
その本性は悪夢を食らう……人間とは異質のカテゴリーに属するモノ。
とびきりのご馳走を喰らって上機嫌な彼の生き物は、今時の現代人は何て素晴らしい食事を与えてくれるのだろうかと、最高の夢心地に愉悦しながら心の底から感謝するのであった……。
end
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