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やっと会えたね死神さん/死神×男/微ファンタジー
ぼくのともだち
二ねん二くみ 浦川 治人
ぼくの家には一ぴきのねこがいます。
ぴかぴかに光る目をもった、まっくろなねこです。
しっぽが長くて、毛はつやつやしていて、かしこいねこです。
ずっと前からぼくの家にいます。
ぼくのお部屋にいます。
そこらへんの猫みたいになきません。
お母さんやお父さんやお姉ちゃんやお兄ちゃんには見えないそうです。
でもぼくには見えます。
さわったことはないのですが
ぼくはエンピツを持つ手を止めた。
まわりのみんなは一生けんめい作文を書いている。
こつこつと、エンピツの先っぽがうるさい音を立てている。
まどの外では雨がしとしと。
エンピツをペンケースに直して、ぼくは半分まで書いた一枚の作文用紙をおり曲げた。
そしてまたおり曲げた。
向きを変えて、おり曲げた。
小さく小さくおり曲げた。
となりの席のサオリちゃんが口をあんぐり開けている。
ぼくはてのひらくらいの大きさにしたそれを、ズボンのポケットにおし込んだ。
家に帰ったら、ますうがい。
そして手をあらって、タオルでちゃんとふく。
毎日やらないと、バイキンがくっつくんだって。
バイキンって、この世で一番コワイものなんだ。
「ハル君、シュークリームがあるよ」
キッチンにいたお母さんはそう言って、お皿にシュークリームをのせ、あったまったミルクといっしょにテーブルへ持ってきてくれた。
ぼく、シュークリームが大好きだ。
あまくてやわらかくて、とってもおいしいから。
「ハル君はちっともお外で遊ばないね?」
ぼくは聞こえないフリをした。
お母さんはこまったように笑う。
ため息なんかをついたりして、何か感じがわるい。
あったかいミルクを少しのこして、ぼくはいきおいよく立ち上がった。
「ごちそうさま!」
「あ、ハル君」
聞こえない、聞こえない。
ぼくはリビングを出て、かいだんをかけのぼって、自分の部屋のドアを開けた。
「ただいま」
部屋のすみっこで丸まっていたくろねこは、やっぱりだまったまま、ゆっくりとかおをあげた。
「ハル君、誰に言ってるの?」
今日のお母さんはやけにしつこい。
ぼくの部屋にまで入ってきて、じろじろと中を見回している。
ぐーをにぎって、おこっているみたく、こしに手を当てていた。
「誰もいないじゃない?」
くろねこは、ふわりとあくびした。
どうしてだれにも見えないんだろう。
どうしてぼくだけに見えるのかな?
「ねぇ、どこから来たの?」
ぼくが聞いても、くろねこはうんともすんとも言わない。
きれいな目を光らせて、しっぽをのんびりゆらすだけ。
何かずるいなぁ。
新学期が始まり、ぼくは六年生になった。
歓迎遠足で一年生の男の子と手をにぎった時は、妙にくすぐったかった。
お兄さんでもないのに、お兄ちゃんって呼ばれるのが照れくさかったのだ。
でも、ちょっぴり嬉しくもあったのだけれど。
「ただいま」
ノートや教科書が入ったバッグを下ろし、部屋の隅っこにいる黒猫に声をかける。
黒猫はヒゲを震わせて、そっとこちらを見た。
不思議な猫。
真っ黒で、淡々としているクールな猫。
丸い金色のひとみが静かに光っている。
「お前、ちっとも変わんないね」
たんねんに手で顔を洗う黒猫は、知らん顔。
ぼくは宿題のプリント相手に、しかめっ面。
ああ、ぼくも猫になりたい。
一日中ごろごろして、夢を見て、起きたらポテトチップスを食べながらマンガを読むんだ。
宿題なんかしなくたっていい、家にずっといればいいんだもの。
「お前はいいなぁ」
ニャアと鳴くのをやめた猫は、小さな舌でしょっちゅうなめる。
大切でかけがえのない黒の毛並みを、ゆったり何回も。
ぼくが部屋にいない間も、きっとペロペロなめているに違いない。
マメな奴だ。
今まで生きてきた中で、一番びっくりした。
だって、名前もろくに知らない女子から、いきなりキスされたから。
五組の女子。
髪を二つに結んで、甘い匂いがした。
女の子の唇ってあんな感触なんだぁ。
僕は肩を竦め、部屋へと入った。
「ただい……」
黒猫は、僕の机の上で丸まっていた。
細めた眼でチラリと窺い、すぐさまピョンと飛び降りてしまったが。
「……」
隅っこから動いた黒猫を、僕はこの時、初めて目にした。
つまり、今日は初めてだらけだったというわけだ。
切迫する受験勉強に生き抜きが欲しかったのかもしれない。
参考書を投げ出した僕は、隅っこで寛いでいた黒猫に猛然と突進したのだ。
「あっ」
油断させておいたつもりが、まんまと逃げられた。
黒猫はポーンと跳躍し、クローゼットの上に着地した。
「……」
小馬鹿にするような表情ではなかった。
諌めるような、物静かな双眸。
小学生よりも幼い頃、むやみやたらに触ろうとした僕に向けられたあの時の視線と同じだった。
「ごめん」
僕は反省した。
少し落胆もしていた。
けれど、もう本当にやめようと思った。
誰もが寝静まった真夜中、僕は受験への不安も忘れ、クローゼットの上で丸まった黒猫を見上げていた。
受験はものの見事に失敗した。
そして一年後、僕は第一志望の大学に合格した。
兄と一緒に探し、見つけた最良の物件に、今度は僕一人で訪れた。
新築で、フローリングのワンルームマンション。
日当たりが良くて、管理人さんも感じのいい人だった。
ダンボールの散乱する我が住まいにて、その夜、僕は即席のかき揚げそばを食べた。
天井ぎりぎりのロフトのところで、黒猫は頻りに顔を洗っている。
「そこ、いいだろ?」
ストライプ柄のソファにもたれ、僕はフフ、と笑った。
「良かった、気に入ってくれて」
ファンシーケースの上よりは広くて居心地がいいはずだ。
窓から見える景色も一望できる、見晴らしのいい高台に建てられたマンションの一室で、僕は部屋のカーテンを全開にし、光り輝く町並みのネオンを遠望した。
「綺麗だね」
振り返ると、黒猫は尻尾をピンと立て、その双眸に町の煌めきを写し出していた。
本当に良かった。
窓を開けて、僕は清々しい風を吸い込んだ。
それは部屋の中に満ち、この心に満ち、黒猫の視界に満ちた。
新しい生活が始まる。
僕は、きっと何でもやれる。
四年間の大学生活はあっという間に過ぎ去った。
僕は緑の多いニュータウンそばの、広々とした校庭がある立派な小学校に赴任し、健やかな日々を送っていた。
そんなある日、ある人と出会った。
僕の住んでいるアパート近くの花屋で、両親の仕事を手伝う綺麗な目をした女の人に。
彼女も僕を気に入ってくれ、僕達は恋人っぽく付き合うようになった。
そして、死が二人を分かつまで、お互いの愛を誓い合った。
生まれてきた子供は女の子で、目元は僕に、鼻筋は彼女にそっくりだった。
気恥ずかしいながらも、天使が舞い降りてきたと思ったものだ。
その翼のない天使はすくすくと育ち、ハイハイができるようになり、立ち上がって、小さな唇から言葉を紡ぐようになった。
そして天使のような娘は幼稚園に入園した。
制服がよく似合う。
何て可愛い子だろう。
僕は毎日娘を抱っこしてやり、世界中の幸せをこの子に与えてあげたいと思った。
そんな娘が突然、一緒にテレビを見ていたら、指差して言ったのだ。
「これ欲しい!」
ブラウン管に写っていたのは、真っ白な毛の大型犬であった。
サモエドとかいうやつだ。
円らで黒曜石のような瞳は温和であり、フサフサした毛並みは抱いたら暖かそうだった。
犬は嫌いではない。
飼った経験はないが、見たり触ったりするのは平気である。
僕は娘の頭を撫でながら言った。
「こんな大きな犬怖いなぁ」
我が子に嘘をついてしまった。
ブラウン管テレビの上で丸くなっている黒猫に目をやった。
熱せられて気持ちがいいのか、今、その場所が黒猫の定位置となっている。
尻尾がブラウン管前に垂れ下がっていたが、娘は気にもしていないようだった。
当たり前だ、見えていないのだから。
僕の血を受け継ぐ我が子でさえも黒猫の姿を認識する事はなかったのである。
「こわい?」
「うん、怖い。嫌いじゃないんだけどね」
「ふーん」
僕はホッとして、胸を撫で下ろした。
光沢を纏った黒猫は、有難そうにするでもなく、尻尾をぷらぷら振っている。
刺々しくなったわけではないのだが、最近ちっとも面白くなさそうだ。
僕の部屋に住人が増えたのがそんなに嫌かい?
目で問いかけると、黒猫はぷいと顔を逸らしてしまった。
「ハムスターならどう?」
キッチンで夕食の後片付けをしていた妻の発言に、僕はあまり賛同できなかった。
季節は巡り、僕と妻は年を取り、娘は目まぐるしい成長を遂げていく。
幾度となく壁にぶつかり彷徨いかけたが、僕達は時には協力し、時には一人で、それを乗り越えた。
だが、誰かを守るという事はとても難しい。
どんなに自分の決心が固かろうと、その手では防ぎきれない脅威がある。
抗えない宿命。
仏壇に一枚の写真を飾った。
照れくさそうに笑った、家内の最後の近影である。
数ヶ月の入院生活を終えて、先日、彼女はこの世を旅立った。
「自分より長生きすると思ったんだけどなぁ」
生前、家内が好きだったものを写真の周りに並べ、僕は思わず呟いた。
娘は久々に向かった大学から、まだ帰ってきていない。
この数ヶ月で、あの子は随分大人になったようだ。
早急でない別れだったからこそ、死に脅かされていく母親を目の当たりにして、言い様のない悲しみとやるせなさを知ったのだろう。
それは僕も同じなのだが。
視線を感じ、振り返ると、開かれた襖の合間に黒猫が座っていた。
星の色に輝く目が、真っ直ぐに僕を見つめている。
「ありがとう」
慰めてくれて、ありがとう。
外で物音がした。
黒猫が床を蹴る。
僕は、彼が走り去った方向とは反対の玄関口へ歩み寄った。
ドアを開けると、両手に買い物袋を持った娘が立っていた。
「ただいま」
「おかえり」
「今日、私が作るから。最近ずっと出前だったでしょ?」
笑顔を浮かべた娘に僕も微笑みを返した。
今日から、僕は一人になった。
娘がある人と暮らすようになったからである。
そのある人とは、誠実で、生産業務を請け負う企業につく、タキシードがしっくりこない、童顔の若者であった。
娘は純白のウェディングドレスがよく似合っていた。
自分にとって一番の幸せを得られたらいいのだが。
それが僕にとって一番の幸せだ。
夕飯を済ませ、リビングのソファでテレビを見ていたら、我が子を抱いていた頃の感触が蘇って、涙が出た。
「駄目だなぁ」
黒猫はテレビの上から涙する僕を眺めていた。
切ない眼光だと感じたのは、僕の勝手な思い込みか。
「お前がいてくれて、良かったよ」
僕はそう言って、心から微笑む事ができた。
何の変哲もない朝が来た。
でも目覚めた瞬間、僕にはわかった。
今日が僕の命日になる日だと。
ソファで新聞を広げ、いくつかの事件にため息がこぼれた。
人はどうして人の死を望むのか。
母親がどうして実の子を、男がどうして愛した女性を、ロープとナイフでもって無残な死へと導くのか……。
僕は新聞を畳んだ。
今日、僕は死ぬ。
難しい事を考えるのは止そう。
混乱したままでいると、成仏できなくなるかもしれない。
暖かな日差しの降り注ぐ朝、昨日の残り物で朝食をこしらえて、ダイニングでお茶と一緒に流し込んだ。
食器を片付け、読みかけの文庫本に集中しようとしたが、一文を読み終えるのにも苦心する。
退職して去った小学校へ行きたい。
娘と、双子の孫の顔を見たい。
とっくの昔に潰れた洋菓子屋のシュークリームが食べたい。
ああ、他には……。
考えるだけで、実行に移そうとはしなかった。
悔いが残る程の欲求ではない。
これまでを思い返し、回想に浸っているようなものなのであって。
幸せな人生だった。
だから、それでいい。
僕は庭に面する窓を開け、爽やかに晴れた外の空気を吸った。
空が高い。
白い雲が浮かび、鳥が飛んでいる。
死ぬにはいい日だ。
六十余りの年月に微笑し、僕はソファへ戻った。
思いを巡らせていたら、相当な時間が経過していたらしい。
時計の短針は三の数に届こうとしていた。
老眼鏡を外し、テーブルの上に置く。
昼寝の時間だった。
眠れば、二度と起きないだろう。
僕は緩慢な動作で横になった。
天井が視界を覆いつくし、未練なくそれを追い払う。
目蓋の裏はほの赤く、無限に広がる空間だった。
僕は欠伸をし、小さな息をつく。
ああ、そういえば。
些細な物音がして、目を開けた。
黒猫がリビングの扉の隙間から、中へと入ってくる。
フロアに座り込んで彼はソファに横たわる僕を見つめた。
愛しい我が子のドレス姿。
窶れながらも美しい微笑を残していった妻。
この家を買って、彼女から生まれてきた天使。
初めて実家を出、始まった大学生活。
苦しかった受験勉強。
初めてのキス。
一年生と手を繋ぎ、お兄ちゃんと言われた時の喜び。
甘いシュークリーム。
そして、そして。
遠すぎる過去にあったすべて。
「お前とも、もう、お別れだ」
ソファに身を沈めたまま、僕は手を差し伸べた。
「おいで」
僕は呼んでみた。
ずっと一緒にいた黒猫を。
「……」
座っていた黒猫は後ろ足を立て、軽やかにソファの傍らまでやってきた。
僕はもう声を出さないでただ待っている。
黒猫の足がフロアを蹴った。
「……ああ」
彼の顔をこんなに間近で見たのは初めてである。
黒猫は僕の胸の上へ飛び乗り、僕の顔を覗き込んでいるのだ。
夢のように軽い重さだった。
僕は腕を伸ばし、黒猫を抱きしめ、その心地を噛み締めて。
目を瞑った。
「やっと僕のものになった」
それはボクの声ではなかった。
気がつくと、そこには金色の目をした黒ずくめの青年がいた。
君が、あの黒猫だったの。
声は出なかったが、青年はしずかに笑い、答えてくれた。
「そうだよ」
ボクはもうかつての体をなくしていた。
それなのにボクはボクでなくならず、青年をじっと見つめている。
「生まれた時から」
青年は透明になったボクを抱きしめ、ささやいた。
「そして、これからもずっと、君を独りにしない」
透明なボクから色あざやかな感情があふれ出る。
青年に抱かれ、すべての時を越えて、ボクは彼とおなじことを思った。
end
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