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冬枯れに君を想い出す/幽霊×生者
静まり返った林の中に建つ廃墟。
そこは物心ついた頃から廃墟のままで、どういった用途のために建てられたのか、全く知らない。
風のない曇天の天気だった。
片手にカスミソウの花束を持ち、冷たい空気に首をすぼめ、枯れ葉が微塵に潰される音を耳にしながら、山間にあるその廃墟へと向かう。
一年に一度の逢瀬。
道程は瞼の裏に完全に刻みつけられた。
廃墟は広く、大きかった。
湿ったような、暗く淀んだ空気に満たされている。
散らかっているわけではなく、何もないに等しい。
落書きもなく生き物の気配もなく。
そこは時に置き去りにされたかのような場所だった。
階段を上り続け、屋上に出る。
空となった給水タンクが隅にあるだけで、錆だらけの手摺りはところどころ、欠けている。
そこを通り抜けて座った。
足を力なく宙に投げ出す。
怖くはない。
ジャケットのポケットから煙草を取り出し、オイルが残り僅かのライターで火を点けた。
今日は誕生日だ。
ここで過ごすようになって、どれくらい月日が流れただろう。
目まぐるしいほどに鮮烈で、戒めに縛られ、その瞬間に心が磔にされた出来事が起こってから。
ぼやけた煙は色のついた自分自身のため息のようだった。
屋上を後にして目的の場所へと出向いた。
カーテンはなく、剥き出しの割れた窓ガラスは憂鬱な色を写すばかり。
空間を区切る柱にもたれ、座り込み、目を閉じた。
波に攫われて消え去るかのように日常のしがらみが遠退いていく。
静かだ。
まるで自分という存在さえ、ここにないような。
「誕生日おめでとう」
ゆっくりと目を開けた。
彼が立っている。
白いシャツに黒いズボンという制服姿で、裸足。
「……お前も、おめでとう」
手元にあった花束を座ったまま彼に差し出す。
彼は嬉しそうにそれを受け取り、顔を寄せた。
「いい匂い」
「カスミソウに匂い、するか?」
「俺にはするよ」
「へぇ」
「もう結構年くったのに、見た目、なんか若いね」
「そうかな」
「三十三だろ。見えないよ」
「お前だって変わってないよ」
自分の黒髪をまさぐりながら、彼は、ふふっと笑った。
「当たり前だよ、俺は殺されたんだから」
そう。
殺された。
お前は殺された。
この右手で、この左手で、お前を殺した。
かつて、ここで。
「ねぇ、髪」
「ん?」
「触っていい?」
「いいよ」
伸びてきた白い手が髪に触れる。
「煙草臭い」
「今さっき吸ってたから」
「ねぇ、キスしていい?」
いつも同じことを尋ねてくる。
拒めるわけがないのに。
逃げられるわけがないのに。
それを知っているくせに。
「いいよ」
冷たくもない唇が押し当てられた。
生温かい舌が触れて、吐息が重なった。
貪るような、熱に飢えたキス。
服を脱がされて。
肌を剥き出しにされて。
すべてを犯し尽くされる。
唇を塞がれて一言も発せずに追憶の果てへと落とされる。
彼が去っていく。
一年に一度の逢瀬。
約束もしていないというのに。
どうしてここに来てしまうのだろう。
肌に残された彼の痕跡に血が滲む。
明日が来る。
そして一年が経過する。
立ち上がり、捧げられたカスミソウを持って、廃墟を後にする。
一年後の再会に囚われた自分自身をひっそりと呪いながら。
end
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