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鬼も目覚める丑三つ時-4

顔を伏せていた能面の者は立ち上がり、闇夜を見上げ、静かに息をつく。 四方からやってきたたくさんの足音は、今やっと、都の中心地である十字路へと集まった。 「還したのか、あの世へ……?」 黒装束の男、渡辺綱(わたなべのつな)は水滴に塗れた手を乱暴に払いながら能面の男に尋ねた。 彼が声もなく頷くと、小柄な男はさも愉しげに笑い、 「今度の頼光殿はかなりお役に立つねぇ。清明が欲しがるのも、そりゃあ無理ないよ」 「その話はよしなさないな、季武」 卜部季武(うらべのすえたけ)の言葉に、小脇に弓を抱えた碓氷貞光(うすいさだみつ)は背後に控える町人やら侍達を気にして少々きつめに言い放った。 「へぇへぇ、すまないねぇ」 「兎にも角にも、全員無事に仕事を終えられて何よりですね!」 笠をとった若い僧、坂田公時(さかたのきんとき)の朗らかな物言いに、四天王の三人は互いの顔を見合い、不承不承ながらも頷いた。 「ま、まさか四天王なのか……?」 「本当にいるとは……驚いた」 「噂では耳にしておりましたが、いやはや……」 四天王に救われた者達は唖然とする他術がない。 おぞましい鬼と遭遇し、世にも奇怪な術を目の当たりにして、悪夢の真っ只中にでもいるような心地であった。 「お話から察するに、その能面の方は……源頼光(みなもとのらいこう)様で?」 町人に尋ねられて、四天王に囲まれていた彼は微かに首を縦に振った。 漆黒の髪がさらりと揺れる。 その立ち居振舞に侍達は首を傾げた。 「頼光殿は御年を召されているはずだが……何と若々しい」 「その御面は、何故されているのか?」 「先日の酒呑童子討伐の際、お顔に大層な傷を負ってしまわれたのですよ」 「若々しいのは当然、何せあの世のものを倒す人ですからねぇ。ただの年寄りでは無理難題でしょうが」 侍の問いかけに答えたのは貞光と季武であり、彼等の問いに侍達は納得し、成程などと言い合っていた。 「あ、あの、先程私が見た、あれはやはりーー」 「おやめなさい」 女が恐る恐る言いかけた言葉を、公時が素早く遮った。 「あれは、冥府に棲まうものですが、ふとした拍子にこちら側へやってくるのです。あれを呼び寄せるのは、人の悪しき感情……憎しみや悲しみの成れの果て、即ち、修羅道に属す思い。だから思いつめてはなりません。己を忘れてはなりません」 町人と女、若者は、思い当たるところもあって神妙な面持ちとなった。 「あと、口にするのも駄目だ。言霊というのを知っているか? 口から転がり出た言葉が現となるんだ。だから、遊び半分で語ると、怖い目に遭うぞ。後の祭りだ」 綱の言葉に、今度は侍達が縮こまった。 皆、それぞれ己の過ちを実感しているわけだから、四天王の言葉は骨身に沁みたらしい。 恐縮している彼等の前に立ったのは貞光であり、彼女は表情を和らげて穏やかな口振りを努め忠告した。 「私達の存在は口外してはなりません。今夜見たものは、すべて夢であったと、そうお思いくださいませ。つい口を滑らせた時、またもや冥府のものを呼び寄せるやもしれませんから」 慌てて各々の帰る場所へ、若者はお咎めを受けるべく色町へ、それぞれ去っていく背中を見送って、綱は能面の男に言う。 「その面、俺達の前では外したらどうだ」 そう言われて、彼は隣の男を見つめた。 面越しの視線でもその意味合いを量るのは容易かったらしく、綱は肩を竦めてみせた。 「あのじぃさんが死んだのはあんたのせいじゃない」 「……」 「俺達の責任だ。そして、あの頼光自身の」 貞光と季武、公時は一人で闇夜を行けぬ者に付き添っており、十字路には二人しか残っていなかった。 しばらく沈黙を噛み締めて、彼は、能面の組紐に手をかけ、慣れた手つきで結び目を解いた。 月のない、墨に塗り潰されたような暗夜においても淡い燐光を発しそうな、白い肌が現れる。 半月の弧を描く蛾眉の下には涼しげに切れ長な双眸、そして整った鼻梁に、赤く濡れた唇。 見目麗しい眉目秀麗な顔立ちは確かに隠しきれぬ妖気を醸し出しており、あやかしの本性を物語っていた。 「よぉ、酒呑童子」 綱は唇の片端を吊り上げて彼の名を呼んだ。 「……何だ、水の使い手」 「フン、俺は綱だ。あんたの配下の茨木童子をぶった斬った痴れ者だよ」 「……そうであったな」 水晶色の眼を細めて彼は静かに笑ったが、ふと唇を強く閉ざし、翳りを帯びた眼差しで綱を見上げた。 「茨木がすべてを忘れて転生してくれればいいが……記憶を残していたら、きっとそなたに報いに来るだろう」 「その時は受けて立ってやる」 不敵な笑みを洩らして綱はそう断言した。 「流石、我の配下、渡辺綱だ」 彼の言葉に、綱は快活に笑った。 「ああ、面をとられたのですね」 「いつ見ても目を奪われるねぇ、こちらの頼光殿は」 「俄然、やる気が漲りますわ」 面を外した彼を見、戻ってきた公時は満面の笑みを浮かべた。 季武と貞光も笑っている。 己の新しい主上の美しさは、どうも彼等の心を擽るようだ。 真夜中のおどろおどろしい十字路には不似合いな笑い声が、その後、しばし絶えなかった……。 「我が名は茨木童子、妖鬼の主に仕えしもの」 とある山の奥深くにて、数多の妖魅が群れ集まり、百鬼夜行を成してそぞろ歩く。 一行の最前列には神童と見紛うばかりの光り輝く美しき童がいる。 闇を従え血を求め夜を練り歩く彼の童の目的は一つだった。 「我が主、酒呑童子をこの手に取り戻し、闇が光を呑む魔都をつくらんと欲す」 夜は、永劫の闇に囚われようとしていた。 end

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