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徒然時々恋模様のち…-3

甘い声のメロディが漂っている。 起き上がると滋君がすぐ視界に入った。 ラグにうつ伏せに寝そべってヘッドフォンをしている。 松尾の姿はなかった。 部屋の中はやや暗く、白っぽいカーテンの間から覗く外は灰色がかっていた。 時計を探してみたが見当たらない。 七時前くらいだろうか。 少し肌寒い気がした。 屈んで顔を見てみると滋君は目を閉じていた。 眠ってはいなかったようで、気配に気づいたのか瞼はすぐに開かれた。 「起きたんだ」 おもむろに体を起こした滋君はヘッドフォンを外した。 「ごめんね。ソファ、占領しちゃって」 「いいよ、別。気にしないで」 首をコキコキと鳴らした。 滋君の動作全部が可愛くて、見ていた俺はほのぼのとしてしまった。 俺が寝ている間に風呂に入ったみたいだ、髪は濡れていて首にはタオルが引っ掛かっていた。 「俺、今日もバイトなんだ」 「どこのレンタルショップ?」 「ここから十分くらい歩いたところ。服屋も近所。明日はどっちも休みだから頑張ろうって気になれるよ」 健気だなぁ。 そんなに仕事を頑張って、毎日忙しくして。 何かいいなぁ。 滋君はヘッドフォンのコードを引っこ抜いて部屋中を音楽で満たした。 これは洋楽だ。 テクノで聞き覚えのある歌声だった。 滋君と一緒にのんびりと音楽を聞く。   ……居心地いいなぁ。 タケシといるよりいい感じだ。 「バイトは何時から?」 「零時から。で、朝の八時まで。一時間休憩あり」 「映画とか好きなの」 「ううん。別に普通」 「松尾君はどこ行ったのかな」 「バイト行ったよ。マツ、隣に住んでるんだけど。部屋すごいよ。ホラー映画のフィギュアだらけ」 「あんま見たくないな。夢に出そうで怖い」 俺は笑った。 滋君は口元で笑いを示す。 クールな子なのだろう、彼はあまり声を上げて笑わないようだ。 滋君はソファに腰掛けようとはせず、頭だけもたれさせて楽にしていた。 俺との距離は近い。 彼はゲイの俺を全く警戒せず、普通の友人という風に接してくれていた。 「滋君、モテるでしょ」 俺の言葉に滋君は首を傾げた。 「育生さんの方がモテそうだけど」 「いやいや、そんな事ないよ」 「ふぅん」 「松尾君はモテんのかな」 「モテるかも。マツって本当いい奴だから」 滋君にいい奴と言われる松尾にちょっとジェラシー。 いや、そうでもないか。 それにしても俺って小心者だ。 滋君に彼女がいるのかどうか明確に問えずにいる。 三十も超えたんだから、そういう事に時間なんてかけてらんねぇだろう……と、思いつつもやっぱり聞けない。 あ~馬鹿馬鹿。 「……晩飯、どうするの?」 「適当に作るよ。バイト行く直前にね。まだ食べない」 「奢るよ。世話になったから」 滋君は素直に頷いた。 うん、可愛い。 人間、素直が一番だよ。 それから数時間後に俺と滋君はアパートを出、滋君のリクエストで牛丼を食べた。 アパートは商店街付近に建っている。築何十年の結構なボロであった。 俺がそこに住むようになって三年は過ぎただろうか。 「滋君はあそこに来てどれくらい経つの?」 簡単に身が解れる定食の焼き鮭をつつきながら「二年くらい」と、滋君は答えた。 「他に移る予定とかないの」 「あそこ家賃安いからね。引越しするにも金かかるし、しばらくいると思う」 店内は会社員や作業着を着たおじさん達、学生と思しき若者などで賑わっていた。 店員はせっせとお茶を注いでいる。 外では車のライトが忙しげに行き交っていた。 「バイト先、お客さん多い?」 「途絶えないよ。ずっと居座る人とかいるし。あ、そろそろ行こうかな」 「頑張ってね」 「どうも、ごちそうさま」 滋君は律儀に礼を言うと店を出て行った。 俺はガラス越しに手を振って、ため息をついた。 「すみません、勘定」 金を払い、俺も店を出、家路についた。 道路脇にタクシーがずらりと停車していて、雑誌のワードパズルなんかをしている運転手もいて、何だか泣けた。 とにかく何もかもが中途半端な感じで、かったるい場所だった。 でも嫌いじゃないんだよな。 表通りを歩いて商店街を少し進み、裏路地に入ればアパートにすぐさま到着。 くすんだクリーム色で壁の塗装がところどころ剥げ落ちている。 二階建てで上下合計十六室。 俺の部屋番号は201。 お隣さんとの付き合いなど皆無、だ。 軋む階段を上り、ポケットから鍵を取り出し、ドアの鍵穴に差し込んだ。 「ただいま~」 真っ暗な部屋。ス イッチを押しても電気が点かない。 俺は首を傾げた。 「あ、そうだった」 土曜の夜に蛍光灯が切れ、それを買いに行き、その途中で酔っ払いに絡まれたのだった。 「あーあ……」 カーテンを開けてアパート前の外灯の光が入るようにした。 パイプベッドに束の間座り込んでいたが、そういえば風呂に入っていなかったと思い出し、シャワーを浴びた。 明日は月曜日。 たいていの人が活動を再開させる。 俺は再開させるものなどなく、ただぼんやりと日々を暮らす。 シャワーを浴び終え、服を着替えて、着ていた服は洗濯機にぶち込んだ。 部屋にはテレビもパソコンもない。 超アナログのラジオがあるくらいだ。 その電源をオンにしてバイプベッドに寝転がった。 眠れそうにない。 今頃、滋君は一生懸命仕事をしているのだろうか。 商品を棚に戻したり、レジを打ったり、掃除したり……みんなが寝ている時間だっていうのに。 行く奴も行く奴だよな。 余程暇してんのか。 何だ、俺も行きゃあよかったな。 ラジオはクラシックを流していた。 音量はかなり絞られていて寝る前のBGMには打ってつけだった。 ベートーヴェン作曲、ピアノソナタ第八番、悲壮の第二楽章。 聞かなくてもタイトルはわかった。 元よりクラシックは嫌いじゃない。 かつて竹林に囲まれたお屋敷で一緒に暮らしていた住人達がしょっちゅう座敷でかけていたのだ。 それが耳に残っているのだろう。 ……滋君、鍵かけてなかったよな。 そう。 そうなのである。 滋君は鍵をかけずに部屋を後にしたのだ。 俺が心配すると「こんなトコに泥棒なんか来ないよ」と、平然と言ってのけた。 泥棒は来なくてもストーカーなんぞに忍び込まれたらどうするんだ。 「それって、俺?」 体を起こして虚空と睨めっこする。 暴走族のノイズが遠くで響いていた。 その後に続く幻想的なサイレン。 緩やかなピアノの演奏と溶け合って夜の音色を奏でていた。 やっぱり無用心だ。 世の中何が起こるかわかったもんじゃない。 殺人なんか日常茶飯事。 泥棒なんか数分茶飯事だろう。 俺にだって、帰ってきたら見ず知らずの女が上がり込んでいた事があったくらいだ。 俺は手ぶらで部屋を出た。 夜風は寒い。 首をすぼめて階段を下りた。 アパート周辺に人影はなく、がらんとしていた。 表通りがチカチカと光っているのが見えて物寂しくなったりもした。 感受性豊か過ぎるな、俺って。 滋君の部屋のドアを開けた時にそう思った。

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