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徒然時々恋模様のち…-6

起きるとすでに真っ昼間だった。 恐れていた事態は何とか免れ、俺はほっと一息ついた。 滋君は仕事に出かけていた。 俺は寝起きのしけた面で自分の部屋に帰って、とりあえず風呂に入った。 洗濯物が溜まっているから片づけなきゃ。 そういやここ何週間、換気していない。 変な虫がいたらどうしよう。 いたら松尾にやっつけてもらおう。 浴室で歯磨きをして風呂から上がると洗濯機に置き去りにしていた服の洗濯を始めた。 色の区別なんかしていない。 いつも適当だ。 コインランドリーが近場にあるが、毎回行くのはやはり面倒なので洗濯機を選択した……マジで寒いな、これ。 冷蔵庫を覗いて空っぽであるのを確認し、窓を開けた。 向かい側には細い路地を挟んで一戸建てが建っている。 裏口側で、その住人と目が合うような事はあまりなかった。 滋君の温もりが胸の辺りに残っていた。 仕事行っちゃったか。 つまんないな。 昼飯、どうしよう。 とりあえず洗濯物干したら散歩に行くか。 今日はいい天気だった。 昨日の満月から予想はしていたが、爽快過ぎる。 外に出るのが億劫になる程だった。 俺は曇天がいいんだよね……。 洗濯した服をのろのろとハンガーにかけて外に雑に干した。 皺を伸ばしもしない。 アイロンなんかない。 いつだって無造作なのが俺のモットー。 てか、単に怠惰なだけ。 お気に入りの黒のジップアップを羽織って俺は外へと繰り出した。 降り注ぐ日差しを避けて日陰を通る。 携帯ショップを通り過ぎる際、店頭のディスプレイを何気なく見ていたらガラスに写った自分が視界に入った。 少し痩せたかもしれない。 ひと月くらい前に受けさせられた健康診断では身長一七〇センチの五十五キロだったっけ……。 滋君は何センチかな。 あれ、一六五ないんじゃないかな。 ホントにもう可愛いんだから。 一人にやけてしまいそうになり、俺は顔を伏せて歩いた。 昼下がりで然程混雑していないこぢんまりとしたカフェに入店し、アイスコーヒーと当店自慢とやらのチキンカレーを頼み、窓際のテーブルでぼんやりした。 寡黙なカップルと読書中の女性客が一人、適度な間隔を空けてテーブルに着いている。 唯一のランチメニューであるチキンカレーのいい匂いがしていた。 誕生日、十一月。 今年で三十六になる。 去年は誰かにプレゼントもらったかな。 タケシとはもう出会っていたかな……?  そうだ、あいつは彼女とのデートを優先しやがったんだ。 あの子とはまだ続いているのかな。 あんなガキと付き合えるのは年上くらいだろうと思っていたけれど確か同じ学年の高校生。 態度変えてんのか、あいつ。 カレーを食べながら色つきガラスの外をずっと見ていた。 通行人を眺める。 楽しい。 滋君が通り過ぎてくれたらもっと楽しいのだろうが、それは無理。 現実そんなに甘くない。 でも俺って苦いコーヒー大好きだし、何とかやっていけるってもんだろ。 民俗音楽の流れるカフェに二時間程長居し、その周辺を当てもなく徘徊した。 書店で雑誌を立ち読みしたりCDを試聴したり、好きな店に新しい服が入荷したかどうか確認したり。 これで一日の半分を消費する。 浪費といった方が正しいか。 外に出ないで一日中部屋にいる事だってある。 それもそれで楽しい。 ベッドで、磔にされたかのようにじっとして、退屈が時間を蝕んでいくのを傍観。 まるで世間から弾かれた一匹の虫みたいな気分になれる。 ……なりたくないってね。 夕闇が濃くなり、俺は滋君の部屋に帰宅した。 晩飯のいくつか買い込んで口笛混じりに。 滋君は程なくして帰ってきた。 「何か食べてきた?」 「ううん。もしかして弁当買ってきてくれたの」 「うん。松尾君の分も」 滋君は遠慮なく強めに壁を叩いた。 するとドアの開閉音が即座にし、従順な犬のごとく松尾が部屋に突入してきた。 「実はちょっと期待してたんスよね。お邪魔しまーす」 かくして三人で食べる二日目の食事が始まった。 「松尾君、友達いるの?」 「そりゃあ友達くらいいますよ」 「松尾君、彼女いないね。その言い方だと」 から揚げを頬張っていた松尾は見事なまでの苦笑いを浮かべ、 「彼女がいたらこんな誕生日過ごしてないんじゃないスかね」と、言った。 俺は笑った。 が、松尾の台詞を頭の中で反芻してみて「ん?」と聞き返した。 「俺、今日誕生日なんスよ」 男三人でもそもそとコンビニ弁当を食べる誕生日……。 「……松尾君、可哀想に」 「あ~もう、言わなきゃよかった。無視してください、無視」 「駄目だよ、お祝いしなきゃ。ねぇ、滋君」 「そうだね。マツ、誕生日おめでとう」 「彼女ができるといいね!」 滋君の祝福に松尾は顔を綻ばせ、俺の言葉には無反応でいた。 何だよ、可愛くねーの。 「でも、やっぱりこれだけだと何だよね。酒でも買ってこようか」 「俺、買ってくるよ」 「いいよ、俺が買ってくるから。二人は食べてなよ」 「え、イトーさん、いいスよ、そんな……」 「いいって」 急に恐縮する松尾に笑いかけた。 弁当を半分以上残したまま外へ出、最も近いコンビニを目指す。 もちろん俺は飲まない。 二人が楽しく飲んでくれたら、酔えないけれど俺だって楽しくなれるもんさ。 酒を飲まない俺は何がつまみにいいのかわからず、とりあえず適当にビールやカクテル、それらしいサキイカだとかチーズ鱈を買ってアパートへ戻った。 出迎えた二人は買い物で膨らんだレジ袋の中身を見ながら、 「うわ、こんなにいっぱい」 「つまみ渋いね。これ、育生さんの好み?」 「お菓子も食べたかった……」 愚痴を言いかけた松尾ははたと口を閉ざし「マジでどうもありがとうございます」と、えらく馬鹿丁寧な礼をした。 「いいよ、誕生日プレゼントでしょ……あれ、おかず減ってる」 「あ、じゃっ、飲みましょう!」 松尾の奴……エビフライ食いやがったな。 「マツ、おめでとう。乾杯」 まずはビールで乾杯した。 俺は口をつけたが飲みはしなかった。 酔い潰れるのはもう勘弁。 素面でいて二人がどんな風に酔うのかを見てみたかった。 酔っ払いの輪の中、冷静に周囲を観察するのも悪くない。 「松尾君、強そうだよね。焼酎とかもいけるんじゃないの」 「焼酎は、無理スね! 前に一気やって吐いちゃって、それでもう奴の事は嫌いになりました!」 声がでかくなっている。 こいつ、もう酔ってんな。 滋君はどうだろ……? 「滋君はどうなの?」 「カクテルとか、甘くて飲みやすいから好きだよ」 こちらは至って普通。 でもこれからだよ、これから。むふふ。 俺がチーズ鱈をのんびり食べている間に二人は缶を次々と空にしていった。 滋君はカクテルばかり飲んでいる。 ビールにも言えるが、これらはあんまりアルコール度数が高くないらしい。 だから飲みやすくて手が伸びるわけだが、調子に乗っているといつの間にか出来上がっていたりするのだ。 「ちょっと! イトーさん飲んでますかっ」 「飲んでるよ」 「嘘だ~さっきから同じ缶持ったまんまじゃないスか!」 げ、酔ってるくせに何て観察力。 「そんなにチーズ鱈ばっかり食べてたらぁ、チーズ鱈になっちゃいますよ~」 ワケわかんないぞ。酔っ払いの特色だけどな。 「だっておいしいんだもん、チーズ鱈。食っちゃ駄目?」 「あ、またそうやってカワイコぶる! ぶりっ子!」 あわわ、バレたか。 でもお前には媚びてないぞ、うん。 「マツ、ほら、投げるよ」 愉快な気分ではあるらしく、滋君は器用に丸めたチーズ鱈を松尾に向かって放り投げた。 松尾は大口を開けてそれをキャッチし、ウハハと笑った。 滋君も笑ったが、その笑い方は普段のものと大して変わりなかった。 つまんないの。 滋君、素面の時と一緒じゃん。 豹変しちゃったりしたらめちゃくちゃ面白いのに。 ウォッカとか買ってくりゃあよかったな。 今から買ってこようかな。 「俺、また酒買ってくるよ」 俺は腰を浮かして立ち上がろうとしたのだが、松尾の馬鹿が足にしがみついてきたのであわや引っ繰り返りそうになった。 「何々? 酒買ってくるだけだって」 「嘘ばっかぁ! ちょっと座ってくださいよ、語りましょうよ!」 「マツ、絡み酒かな」 ああ、それなら滋君に絡まれたいのにさ。 買い出しを断念して座り直すと松尾は「う~ん」とか「いや~」とか唸りながら俺に言いやがった。 「な~んで男が好きなんですか!」 う……うぜ~……。 「滋君、ちょっと松尾君を外に放り出してくんない」 「あ~ひどいスよ! イトーさんは俺に冷たい! 俺の事嫌いなんでしょ!」 「嫌いじゃない、嫌いじゃない。ちょー好きよ、松尾君」 「……うわ~ん」 「マツ、今度は泣き入ったね」 面白いんだか面倒臭いんだか。 俺は曖昧に笑うしかなかった。 「な~んで女子は駄目なんスか」 「さぁねぇ。ずっと前に付き合ったりしたけれど、しっくり来なかったんだよね」 「そ、それは……エッチがですか」 おいおい。何か下ネタに流れちゃってるぞ。 いいのかな……? 滋君をちらりと見てみたが、彼は無関心な態度丸出しでカクテルを飲み干していた。 カラフルな缶で甘い味の飲み物は滋君にとてもよく似合っていた。 「うーん、そうだね」 松尾は何故だか大袈裟なくらい神妙な相槌を打った。 「という事は……イトーさん、攻められるのが好き、と……?」 「せいか~い。はい、賞品はこれ」と、俺が差し出したカクテルを躊躇なく受け取って、 「そ、そんなにいいもんなんですか?」 「いいよ。だって男はたいてい感じるもんなんだよ。俺はそれを早くに知っちゃったからさ。味占めちゃって。何なら実践で教えてあげようか?」 問いかけた直後に松尾は吹き出した。 しかも飲んでいる最中に。 「マツ。粗相」 「すんませ~ん、だってイトーさんが変な事言うから」 「松尾君って初心なのね。もうお兄さん誘わないんだから」 「それ似合い過ぎ、育生さん」 「あ~何か腹減ってきません? イトーさん、何か買ってきてくださいよ」 「さっき行こうとしたら松尾君が止めたじゃない」 「あ、そういえば今日俺の誕生日だった! 俺、おめでとう!」 あまりの松尾の酔いぶりに俺と滋君は呆れるでもなく顔を見合わせて笑った。 夜は刻々と更けていった。 宴では松尾のみが大いに盛り上がり、滋君はカクテル片手に彼のいい加減な講釈を拝聴していた。 俺はというと、いつまで経ってもなくならないチーズ鱈を延々と齧りながら滋君を拝見していた。 目がとろんとしてきている。 眠たいようだ。 久々に真っ昼間の外を出歩いたせいか俺も疲れていて、うとうとしていた。 気がつくと松尾のうるさい喋りが途絶えていた。 目をやると、ラグに突っ伏して熟睡している。 つくづくお気楽な奴だと思ってしまった。 「松尾君、明日の講義とか大丈夫なのか、な……」 滋君に話しかけようとして俺は目を丸くした。 滋君はこっくりこっくりと夢の入り口。 これは横になった方がいいのでは……。 「滋君、ソファに」 肩に手をかけると、ぐらりと体が傾いて俺の肩に頭が落ちてきた。 「ん……」 昨日は昨日、今日は今日。 滋君から与えられるこの浮き足立つ幸福感はいつだって鮮やかな薔薇色だ。 俺はできる限り静止したままでいた。 この温もりを満喫したくて、眠ってしまわないよう努力して、堪えた。 しかし人は眠らなきゃ生きていけないようにできているわけで。 いつしか俺も夢の中。 出てきたのはまたもや人食いシャチだった。

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