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眠りの物語/庭師×王子/悲恋
あるところにそれはそれは小さな国がありました。
とても小さくて、余所の国の人にあまり知られていない国でした。
しかしながら、そこの王様が住むお城の庭はとても綺麗でした。
一年中花が咲き誇る、その国唯一の自慢といってもいい、夢のような美しさでした。
王様には一人の王子様がいました。
しかし国の人々は王子様の顔を知りません。
王子様は国の人々、お城の従者、おまけに親である王様と王妃様にまで、顔を見せるのを嫌がったのです。
可哀想な王子様でした。
そして、そのお城で一番の新入りとなる庭師は、一番、花のことを思いやる男でした。
他の庭師は木が虫に食われて駄目になってしまうと、すぐに切ってしまおうとしますが、その庭師は、つきっきりになって一生懸命世話をし、またその木の花を咲かせることができる、新入りでありながら素晴らしい腕前の持ち主でした。
ある日、まだ朝日の昇らぬ夜明け前。
庭にいた庭師の元へやってきた者がいました。
「庭師さん、庭師さん」
うっすらと赤い唇がそう呼びます。
とても澄んだ声に、あまりの美しさに、庭師はびっくりして、言いました。
「貴方は、ひょっとして、王子様ですか?」
「ええ。窓からいつも見ていました。庭をこんなに綺麗にしてくれる貴方に、どうしてもお礼を言いたくて」
王子は微笑みました。
庭師もぎこちなく笑いました。
こんなに美しい人を見たのは、庭師は初めてでした。
「よかったら一緒に歩いて回りませんか?」
王子は、その双眸を大きく見開かせ、そして頷きました。
庭師は恭しく王子の手をとって庭を案内しました。
ほとんどの花達がまだ熟睡する中、庭のほぼ真ん中にある「眠らずの木」は薄闇に色鮮やかな花をいくつも咲かせていました。
「眠らずの木」の下で王子は無邪気にはしゃぎます。
風が吹いて色とりどりの花弁が舞い、葉っぱが舞い、王子の髪がさらさらと靡いて、それらすべてが生まれ始めた陽射しに包まれて。
見ていた庭師は思わずため息をつきました。
「こんなに幸せな気持ち、初めてです」
王子は庭師を見つめて言いました。
それから庭師と王子は真夜中に顔を合わせ、庭で戯れるようになりました。
花占いをしてみたり、飾り石に腰掛けて、太陽が昇るまで語り合ったりしました。
月が半分欠けた夜、二人はいつものように庭で落ち合いました。
だけれども王子の顔はどこか曇りがち、瞳は涙で潤んでいます。
庭師が理由を尋ねると王子は涙ながらに言いました。
「明日、僕は全く知らない女性と結婚するのです」
王子が言うには、栄えている隣国の王女と結婚し、その恩恵を分けてもらうのだそうです。
庭師はびっくりしました。
言葉もなく、ただ王子を見つめるばかりでした。
「僕は嫌です。僕は、貴方と一緒にいたい。この庭で、こうしていたい。だけど……」
王子の涙は止まりません。
とめどなく流れて「眠らずの木」の根元に吸い込まれていきました。
「お願いです、僕を……ここから連れ去って。この庭と別れるのはつらいけど……貴方がいてくれれば、僕は」
庭師は王子が大好きでした。
だけれども。
王子を幸せにしてあげられる自信がまるでありませんでした。
自分はただの庭師です。
地位もないし、お金も持っていません。
そんな自分が王子を幸せにしてあげられるわけがない、そう、思いました。
「……」
無言でいる庭師に王子は目を閉じました。
大粒の涙が頬を落ちていきました……。
翌日の昼、悲しい報せが町中に伝えられました。
王子の死です。
自ら、王子は、命を絶ったのです……。
庭師は驚きました。
庭師は泣きました。
自分を憎みました。
後悔しました。
貴方をもっと愛すればよかった……。
それから何日か経ち、庭師、城の人々は庭の異変に気がつきました。
何かが足りないと思っていたら、あるはずの色彩が抜けていたのです。
それは「眠らずの木」の花でした。
咲き誇る花はなく、ただ乾いた幹が細い枝を大空に伸ばしているだけ。
庭は何だか色褪せて見えました。
庭師は「眠らずの木」のそばに立ちました。
王子の涙が染み込んだ場所に。
「眠らずの木」はやっと眠ることができた。
王子と共に。
そう、思ったのでした。
end
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