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ヴァンパイア・バンパイア/ドSな吸血鬼×Sな吸血鬼
今夜の餌はあれにしよう、そう、男は決めた。
騒々しい雑踏で擦れ違った一人の青年。
妻子と共にする家庭や役職に就く職場では鳴りを潜めている加虐心を煽った、その横顔。
決して他人には打ち明けたことのない「渇き」。
唯一、明かすのは餌に対してだけ。
男は吸血鬼だった。
スーツ姿の彼は人ごみを器用に擦り抜けて餌の後を追う。
氷水のように冷めた眼差しが印象的だった。
癖のないストレートの髪は掴み甲斐がありそうだ。
引っ張り上げて、壁に叩きつけたら、どんな顔をするのかな。
一番の決め手となったのは、ほんの一瞬、視界を過ぎった首筋だった。
Vネックのシャツを着ていた彼は喉元から鎖骨にかけて皮膚を露にしていた。
なんとも食指の動く、さも滑らかそうな、白い首筋。
あの首筋に乱杭歯を埋めたらどんな音がするだろう?
プツリと、血肉を引き裂いて、深く、奥まで、突き刺して。
ああ、早く味わいたい。
こんなに興奮するのは初めてかもしれない。
これまでの餌の中には自ら身を差し出してきた相手もいた。
もちろん男は頂戴したが、ある程度「渇き」は満たされたが、何かが物足りなかった。
嫌がられたほうが盛り上がる。
とことん抵抗してくる体を力で捻じ伏せ、組み敷いて、否応なしに屈服させる。
止めに血を奪う。
零れ落ちる断末魔は食事の付け合わせに打ってつけだ。
あれは悔し紛れにどんな悲鳴を滴らせてくれるかな。
傍から見れば仕事帰りの真っ当な社会人、嫌味なほど容姿に優れた美しい男はその双眸に隠しきれない獣性の鋭さをちらつかせて餌を追尾した。
さて、どこで襲おうか。
やがて餌は街を抜けると薄暗い界隈へ移動した。
景観ががらりと変わり、交通量や人通りがぐっと減る。
女性の一人歩きには不似合いな静けさが漂っている。
女ではない餌は平然と足早に外灯の乏しい道を突き進んでいく。
進路方向には高架下のトンネルがぽっかりと口を開いていた。
あまりにも好都合過ぎる餌場。
普段の男ならば条件の揃い過ぎたこの状況に懸念を抱いていただろう。
が、今宵の吸血鬼はさも美味でありそうな餌に食らいつくことで頭がいっぱいで、やや、注意力が低下していた。
餌がトンネルに入る。
男は足音を立てずに歩調を速める。
壁面にはスプレーによる落書きが見受けられ、急に冷気と湿気が増し、体に不快に纏わりついてきた。
電車の走行音が近づいてくる。
トンネル内には二人のみ。
今だな。
一度も振り向かない餌に向かって男は一気に距離を縮める。
手を伸ばし、その肩を掴もうと、残虐なる五指を広げる。
その時。
餌は振り返った。
電車が車輪を激しく軋ませて頭上を通過していく。
近くの踏み切りで鳴り渡る警報音。
点滅する赤いランプ。
互いに利き手で急所となる喉笛を捉えた二人。
容赦ない握力に圧迫されて息苦しさを覚えながらも、男は、失笑した。
「……お前も吸血鬼なんだ」
吸血鬼である青年は吸血鬼である男を忌々しげに睨みつけた。
「どっかのクソヤロウが……ついてくるから、餌にしてやろうと思った、のに」
「御生憎様……俺も、そうだよ……なぁ、手、退けて?」
「そっちが……先に退けろ」
「え、なん……で?」
「あんたが退かしたら……俺もそうしてやる」
「いやいや、年の功で……お前が先だろ?」
問答をぶつけ合いながらも互いに握力と殺意を強めていく。
同じ吸血鬼だからと言って馴れ合うわけじゃない。
むしろ今夜の餌にありつけず、落胆し、苛立ちが募りばかりで。
「それなら……せーので……離そうか」
「……」
「じゃあ……、せーの!」
「「…………」」
「おい……あんた離すんじゃなかったのかよ?」
「お前も離してないだろ」
不毛な問答がまだ続くかと思われた、その時。
二人は意外にも瞬時に互いの喉元を解放すると獣性の眼でトンネル外を見やった。
まだ大分先にいる通行人、恐らくここを通るだろう人間を、ずばぬけた視力で確認する。
パーカーのフードを被り、細身のスキニー、ミリタリー調のブーツ、軽薄そうな顔立ちに長い前髪。
被虐趣味でもあるのか耳にも鼻にもピアス、服で隠れてはいるがタトゥーも体のあちこちに彫られている。
少年はイヤホンをして音楽を聴きながら物騒な夜道を歩いていた。
「そんなに好みのタイプじゃないけど」と、男は一呼吸すると相変わらず冷えた眼差しの青年を見下ろした。
「お前はどう?」
「……俺も普段は敬遠する、ああいうの」
青年も深呼吸して、一息つき、言い放つ。
「俺は首、あんたは手首にしろ」
「いいや、逆だね」
「じゃあ、早い者勝ち」
「賛成」
吸血鬼の眼が赤く煌めく。
間もなくして倒錯的歓喜に満ちたか細い断末魔が夜の闇に紛れて、消えた。
end
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