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温泉旅館若旦那<鶴>奮闘記-5

山の天気は変わりやすい。 あれだけ晴れていた空がいつの間に黒雲に覆われて降り出した雨。 口数の少ない少年に案内され、川沿いに血飛沫の如く咲き群れる彼岸花をぼんやり眺めていた佐久真は、特に急ぐでもなく山を降りようとしたのだが。 少年はそんな佐久真の手首を無言で掴むと旅館とは別の方向へ駆け出した。 雨足が一気に強まる。 近くで雷鳴が轟いている。 少年が次に佐久真を案内した場所は古ぼけた神社だった。 あっという間に水溜まりの出来上がった境内を過ぎると、賽銭箱を通過し、鍵のかけられていない格子戸を開けて拝殿へ入る。 小ぢんまりした煤けた板間。 ご神体を収めるはずの本殿はなく、一間のみの形成、そして寒い。 雨足がさらに強まった。 「旅館へ戻るよりこっちの方が近いから」 すでに体育座りで隅っこにしゃがんだ少年がぽつりと言う。 外で稲光が走り、数秒後に雷鳴が重々しく響き、地響きが続く。 さすが田舎だ。 雨に濡れた少年の、先程よりも増したこの世のものらしからぬ雰囲気に、対角線上にあぐらをかいていた佐久真は密かに眉根を寄せた。 ホラーは苦手だ。 「お前、名前は?」 「……碓井、優生」 「ゆうせい?」 「優しい、生きるで、ゆうせいだよ、佐久真さん」 「俺、名前言ったか?」 「但馬様にそう呼ばれてた」 死神但馬。 味方には慈悲深く、敵には容赦なく、昨日の味方が今日の敵となれば、問答無用、即座に血祭り。 優生はいずれ死神に食われるだろう。 それとも、もう? 「飴玉、くれた」 「飴玉? 俺がお前に? 全然覚えてねぇな」 按配の悪い格子戸に頭をもたれさせていた佐久真が何ともなしにそう答えると。 膝の上に額をくっつけていた優生はゆっくり顔を上げて。 しばし穴が開きそうなほどに佐久真を見つめていたかと思えば。 その白い白い頬にぽろっと、涙を。 ぎょっとする佐久真の視線の先でぐすぐす泣き出した。 膝を抱いて「うう」と嗚咽まで。 俺、今、そんな酷いこと言ったか? 「お前、何歳だよ」 「……じゅう……ご……ひっく」 「十五か、中三か? ガキみたいに泣くんじゃねぇよ」 佐久真は雫を散らして黒髪を掻き回すと、機敏に立ち上がり、頑なに顔を伏せている優生の隣にどかっと腰を下ろした。 そうして次に優生のしっとり濡れた髪を掌でぐしゃぐしゃに掻き回した。 「悪い、今飴玉持ってねぇんだ」 バケツの底を引っ繰り返したような大雨。 また外が不穏に光った。 「……飴が……ほしいわけじゃ……」 乱れた髪越しに優生はすぐ隣に座る佐久真を見た。 ついさっきまで泣いていたはずの優生は笑っていた。 触れればひんやりしそうだった頬はうっすら紅潮し、氷を押し当てれば緩やかに溶かしそうな熱を孕んでいた。 水底に漂う幽霊のようだと思われた優生が急に色鮮やかに開花したような。 そんなまやかしに佐久真の理性は一瞬で溶かされた。

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