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温泉旅館若旦那<鶴>奮闘記-9
佐久間は本部とは別に自分のネグラを持っている。
雑然たる繁華街から程近いマンションの一室、最低限の物だけ置いてある、何とも殺風景で生活感のない檻じみた住まいだ。
縄張りであるシマを見回って風俗店の売上金をざっとチェックし、舎弟である黒服を見かければ小遣いを渡してやり、馴染みのバーでウィスキーを一杯だけ飲み、短い家路についた。
手つかずの黒髪はしつこくない程度に撫でつけてダークスーツ、薄い色つきのサングラスに、頬の傷跡。
堅気じゃないことを口の代わりに雄弁に物語る外見に通行人は自然と距離をおく。
しかし中には挑戦的な眼差しで佐久間に視線を叩き付けてくる者もいる。
対抗組織の人間だ。
血気盛んな若者が数を締める、まだ生まれて日の浅い「無謀」を売りとする新興組織であり、先日も「銀龍会」の縄張りにクラブを開店させるなど、面子を潰そうと日々ケンカを吹っかけてくる。
『例の件ですが』
例の件、というのは「銀龍会」の分家が経営する高級クラブでその新勢力の末端が騒ぎを起こし、店側の構成員に重傷を負わせ、ホステスや一般客まで負傷させた、正に顔に泥を塗られた騒動のことだった。
実行犯は警察に逮捕された、但馬は彼等を動かした、その頭を全て潰せ、そう佐久間に命じたのだ。
また街に血が流れるな。
喧騒を引き摺る夜長、欲望に薄汚れた繁華街の片隅で佐久間は煙草に火を点け、軽薄なネオンの明かりに紫煙を溶かした。
『佐久真さん、もっと……』
佐久間の頭の片隅に不意に蘇る記憶。
優生。
お前に会いたい。
「佐久間さん」
佐久間はギクリとした。
警戒が必要な往来では決して他者の侵入を許さない自身の殺傷圏内、すぐ背後から、いきなり呼びかけられて。
反射的に振り返ってみれば。
「佐久間さん」
優生がいた。
「どうもこんばんは、お久しぶりですね」
「……」
「大女将からお休みを頂いて、急に思い立って、貴方の棲む街に来てみました」
「……」
「実は最初、乗り継ぎの駅を間違えてしまって。外へ出るのは不慣れなものですから」
優生だ。
山に囲まれるようにしてひっそり佇む宿、あの「篭もりや旅館」で、どこか儚げな雰囲気を漂わせながらも客一人一人に心からのもてなしを欠かさない、新雪さながらの白肌を持つ二十九歳の若旦那。
「こんな夜遅くに着いてしまいました」
手荷物一つ、和服ではなくカジュアルな格好の優生にふわりと笑いかけられて。
突っ立ったままの佐久間は他愛もない幻想を抱く。
本当に鶴が化けているのかもしれない。
山から街へ、俺に会いに、その白い羽を翻させて……。
「佐久間サン」
そこで佐久間の幻想は途切れた。
優生の向こうに現れたのは舎弟の一人で、
佐久間は優生を隠すようにぐるりと立ち位置を変え、やってきた舎弟に無造作に小遣いを渡すと足早にその場を後にした。
優生の片翼ならぬ片腕を捕らえて。
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