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狼と犬と狐-4

夕方の湖は茜色を反射してキラキラと瞬いていた。 「早くピアスみたいに走れるようになりたいなっ」 凪いだ湖面を覗き込んだヒト月は水底で泳ぐ魚たちに無邪気に語りかける。 抜き足差し足、そんな月の背後へ忍び寄る、同じくヒト化したディス。 しょっちゅう月を見かける湖にやってきてみれば、案の定、畔にしゃがみこんで何やら独り言を連発している彼を見つけたわけで。 派手に転んでボスにベロベロ心配されてたくせに、ぜんっぜん平気そうじゃねーか、バカ犬。 ちょっとばっかしからかってやっか。 ディスは丸められた背中に手を伸ばして思いっきり、どんっっっ……と……。 ぼちゃん!!!! 「あれっ? ディス、今から水浴びするの? これから夜になって冷えてきちゃうのに?」 「ッ……なんでよけやがった……このバカ犬ッ」 「? 何となく?」 気配を察してさっと横に逸れた月、勢い余って湖に落っこちたディス、かっこわるい。 仏頂面になったディスは獣化して岸に飛び上がると全身ブルブルさせた。 びしゃびしゃと水をかぶった月は「冷たい!」と大笑いする。 「雫、きれい、夕焼け色!」 そんなことではしゃぐ月の赤まなこは夕焼けを呑み込んで血の色に輝いて。 忌み子として捨てられた犬。 兄貴とボスが話していたのを聞いた。 『仲間よりも守りたいものができちまったんだ、リコ』 この赤に魅入られたんだろうか、ボスは……。 「ディィィィス!!」 「グルルルルッ!?」 あまりにも妖しく煌めく赤まなこと反対にそれはそれは溌剌とした月に抱きしめられたディス。 「寒いでしょ。こうしたら早く乾くよっ」 「やややっやめろ! 馴れ馴れしいんだよ、バカ犬!!」 月の両腕の輪からすぽっと飛び出したディスはそのまま湖の畔から一目散に走り去っていった。 漆黒の流星の如く夕闇に紛れて消えて行った一匹の黒狼を月は立ち上がって見送る。 夜の兆しと日の名残りがせめぎ合う双眸を惜し気もなく煌めかせて。 「また明日ね、ディス」 ぬっくぬくな日だまりで縺れ合ったモフモフモフ。 柔らかな風に綿毛が舞う中、時々もぞりもぞり、抜群の寝心地を模索しては次の寝相に落ち着き、たまに蜜蜂がブーンとやってくれば獣耳をぱたぱたして追い払う。 「ねぇねぇ。ピアスの牙って、どれくらい鋭いっ?」 「くぁ……寝てろ、月」 「そうですねェ、何だって切り裂いちゃう切り裂き狼ですからねェ」 まだまだおねむなピアスを余所に、ピアスのフカフカな懐で月と玉藻はおしゃべりする。 「じゃあクジラも? マンモスも? 切り裂いちゃう?」 「バッサリいっちゃうでしょうねェ」 「すごいっっ」 「うるせぇぞ、月……こうしてやらぁ」 急に頭を起こしたかと思えば月の顔半分をがぶりと甘噛みしたピアス。 「わぁぁっ、食べられちゃうっ」 「あらあら、可哀想に。あたしの月をいじめないでくださいよ、切り裂き狼さんとやら?」 今度は玉藻がピアスをちょっと本気噛みした。 「痛ぇぞ」 「月も噛んじゃいなさい。その辺の丸太よりかは噛み応えあるでしょう」 「がぶーーー!」 「ッ……月、お前甘噛み知らねぇのか、教え忘れてたな」 ぽかぽかあったかい日向で仲睦まじく縺れ合うモフモフモフ。 木々の間から遠目に眺めていたディスはイライラが止まらない。 群れに戻る気にもなれず当てもなく森をほっつき歩き、ふわりふわり舞う綿毛にじゃれついたり、獲物を追っかけ回したりして狩りに失敗し、始終浮ついた心で時間を過ごして。 湖に行ってみた。 「毎日磨けばピアスの牙みたいになれるかな!」 姿を現せば一匹ずつ近づいてくるようになり、すっかり自分に懐いた魚たちに話しかけている月がいた。 ピアス、ピアス、ピアス。 いつでもどこでもボスの名ばかり、まるでそれが鳴き声みたいに、飽きもせず。 バカな犬だ。 お前なんかがボスみたいになれるわけがねぇ。 「あ、ディス!!」 俺が先になるんだ。 そしてボスよりも立派に、誰よりも一番速く森を突き抜けられる狼になるんだ。 あのひとを追い越すことができれば、きっと、俺は、お前の、 「今日も会えた!!」 夕空に光り瞬く湖の畔で月に抱きつかれたディスは、それから、慌てて獣化しようと、 「ディスは変だね」 何気なく紡がれた月の言葉にディスはヒトのまますこぶる目つきの悪い双眸を瞬かせた。 「は……?」 「ピアスに追いつきそうなくらい、速いのに。おれに捕まる」 「は?」 惜し気もなく地上に注がれる夕日に色鮮やかに双眸を煌めかせた月は抱擁から逃れるのも忘れて突っ立っているディスに笑いかけた。 「おれに捕まるの、待ってるもん、ディス」 あのひとを追い越すことができれば、きっと、俺は、お前の、特別に。 その赤い目に他の誰よりも見つめられる。 憧れていたはずのボスを蹴落としたくて堪らない。 そのきれいな目を独り占めしたいんだ。

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