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おすふぇろもんではらませて-8
ハンドルを握りしめた時岡 はでこぼこ道にものものしげに立ち塞がる野生イノシシを前にして凍りついていた。
馬鹿でかいイノシシは普通車の運転席で青ざめる彼の不安を煽るようにブルブルと鼻息を荒げ、ぐっと身構え、正に猪突猛進しようとーー。
その時だった。
すぐ横に切り立つ木立の斜面から漆黒のシルエットが飛び出てきたのは。
エンジン音を響かせて停車している車の中で時岡は目を疑った。
一見してそれは黒豹によく似ていた。
敏捷性に優れたしなやかな肢体でイノシシに躍りかかり、仰天したイノシシは漆黒の獣を背に乗せたまま反対側の茂みへまっしぐら。
後は、はらはら舞う落ち葉が西日にただ照らされるだけ。
「……もしかして今のが……?」
「時岡先輩、いらっしゃい!」
今日、三十代の時岡は職場の後輩に自宅バーベキューに招かれてこんな山深い場所までやってきた。
早くに両親を亡くして都会を夢見るでもなく腰を据え続けてきた自然豊かな離島。
住み慣れた土地ながらも後輩が住むこのエリアには初めて足を踏み入れた、それほど……辺境なのだ。
「小松原君、ここってイノシシが相当多いですか?」
「めちゃくちゃいますよ。先輩の家周辺には出ませんか?」
「一応、中心地寄りだからね、でも猿は出ますけど、ッ、わっ!?」
時岡はびっくりした。
手土産を持っていた手に何か触れたと思い、何とはなしに見下ろしてみれば、先程目撃した黒い獣とそっくりな獣が二頭、背後から手の甲の匂いをスンスン嗅いでいるではないか。
時岡は動物が苦手だった。
色んな動物が日々出没する田舎に住んでいようと、一向に慣れない、苦手なものは苦手なのだ。
「こ、これが黒虎ですか?」
「そうです、ジェンガとアベルです」
「これまで何度もお話は聞いていましたが実物をいざ目にすると……うう」
動物苦手な時岡がどうして黒虎だらけの小松原家にバーベキューしに、しかもお泊まりに来たのか。
それは小松原に笑顔でどうしてもと誘われて断れなかった、ただ単に人がいい性格、というだけの話だった。
「大丈夫です、基本大人しいんで。イノシシにはまぁ割と凶暴ですけど」
「あ、そのイノシシなんだけれど」
時岡は先ほど自分が目撃した一連の出来事を小松原に伝えた。
片手で肉をジュージュー網上で焼きながら、じゃれついてくる黒虎二頭を片手で器用にあしらいつつ、小松原は「へぇー!」と興味深そうに相槌を打つ。
「この二頭よりもう少し大きかった気がします」
「ジェシカかな? でもずっとティアラの面倒見てたような」
まだ他にも二頭いるのかと内心げんなりした時岡。
噂をすれば当のジェシカがティアラを咥えて家の奥から庭へ、客人にご挨拶にやってきた。
ずっとへっぴり腰だった時岡は成獣なる立派な黒虎に迫られてさらに逃げ腰になりつつも眼鏡レンズの下でその双眸を意味深に細めた。
そこへ。
五頭目の黒虎が小松原家の庭を訪れた。
ジェシカの兄のジェラルドだ。
小松原の元上司の兄に飼育されている黒虎なのだが、夏休み、孫達でうるさい住処を離れて元上司を経由し、小松原家に期間限定で引き取られているのだ。
「ジェラルド、散歩楽しかったかー?」
小松原をちらりと横目で見、バーベキューの輪から離れた庭の隅っこでぐるりと丸まったジェラルド。
若雄のジェンガとアベルがちょっかいを出せば「ガルル!!」と牙を剥いて追っ払っている。
弟のジェシカにも素っ気ないドライなお兄さんだ。
そんなジェラルドをおっかなびっくり見つめていた時岡だが。
「先輩?」
紙のお皿と割り箸を持ったまま非常にぎこちない足取りでジェラルドへ近づいていく。
ジェシカと呼ばれていた黒虎よりも目つきが尖っていて、ちょっとクールそうな、ジェラルド君。
この子だ。
さっきイノシシを撃退してくれたのは。
「さっきはありがとう、イノシシを追い払ってくれて、ジェラルド君」
超へっぴり腰で声をかける時岡。
ちらりと横目で見上げるジェラルド。
次の瞬間。
「ひっ」
急に身を起こしたジェラルドに時岡はびっくりして皿からお肉を落としてしまった。
ジェラルドは鋭い牙で地面に落ちた肉をバクバク喰らう。
その日の夜、小松原家の一間で、肉をバクバクしていたジェラルドの牙に魘されて涼しいながらも寝苦しい一夜を時岡は過ごした。
「時岡先輩、川遊び行きません?」
時岡は小松原の住む古民家から徒歩で十分程のところにある川へ出かけた。
二十代の後輩が若雄二頭と無邪気に水遊びするのを三十路の先輩は岩に座って眺めていた。
裸足で川から岸に上がればジェシカがタオルを咥えて小松原を迎える。
ジェンガとアベルは小松原に絶えずじゃれついていた。
危なっかしげに川原をよちよち歩きしていたティアラを抱き上げ、小松原は、とてもいとおしげに頬擦りする。
小松原君達を見ていると、ただの飼い主とペットには……見えない。
もっととても深い絆で結ばれているような。
人間と動物の垣根を越えた繋がりがあるような。
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