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フライトナイト-5

「おい、一人で帰れんの?」 「帰らないよ! 今から電話する!」 「へぇ。警察でも呼ぶつもり?」 「そ、そうだけど!?」 僕は必死の形相で教室から飛び出した。 おどろおどろしいムードであった校内も、時間が経過した今ではただの暗い校内に過ぎない。 いくらか見慣れた廊下を足早に突っ切った。 餌だって?  どういう意味合いで使ったのかは知らないけれど、そういう言葉が出てくる事自体怪しい。 それにあの人はみんなを罵倒して、その上、山田君を殺してる!  迂闊に話を交わしていい相手じゃなかったんだ! 「こっち、こっち」 振り切ったはずの男の声が耳元で聞こえたかと思うと手首を掴まれた。 そのまま強引に引っ張られる。 この校舎に一つしかない中央階段を危うい足取りで降りなければならない羽目になった。 「ちょ、ちょっと!」 僕の金切り声に知らん顔を突き通して、右条は、生徒用玄関を訪れた。 山田君の殺害現場へ連れていこうとしているのだ。 「ビビんなよ、大丈夫だって」 右条は涼しげな声で嫌がる僕を宥めた。 山田君には悪かったが、僕はあんな凄惨な死体は金輪際見たくなく、玄関の板敷きに降り立った際には目を瞑って呻吟した。 どす黒い血は山田君の服に、ガラス張りの扉に、タイルが敷き詰められたフロアにべったりと付着していた。 しかも胸にはあのお化け釘が深々と突き刺さっているのだ。 間近であれを見たら二度目の失神を味わうのは必至だった。 「……ったく」 右条がため息をついた。 あの目を見て以来、彼への恐怖心までもが拭い去られて隙だらけの行為に至れるわけだが、うん、ちっとも喜べない。 むしろ如何わしい催眠術でもかけられたんじゃないかと、今更ながら不安になってきた。 「あの、もう離れていい? し、死体なんて見れない」 「そんなモンないよ」 右条の言葉は到底信じられなかった。 殺人鬼の彼が怒り出したって僕は絶対に目を開けるまいと固く誓った。 のだが。 「……わ、あ!?」 耳朶にキリリとした刺激が走って僕は飛び上がった。 「な、な、な」 右条は不敵に笑っていた。 勢い余って後方の靴棚に頭を打ちつけた僕は、彼に噛まれた方の耳を手で覆って、心の底から呆気にとられた 「何もないだろ?」 「あ」 ガラス部分から仄白い光が溜まったグランドを覗かせる扉と、僕達が乗っている板敷きの間に、山田君の死体はなかった。 一ヶ所に穴が開いた衣服と、レザースニーカーと、銀縁の眼鏡が捨てられたみたいに置き去りにされていた。 「アイツ等はもう人として死んでいけないのさ」 僕は山田君の死体をどこにやったのかと右条に聞き出そうとした。 が、唐突に彼の表情が鋭さを孕んだので、咄嗟に口をつぐんだ。 「……佐藤くーん……」 僕を呼ぶ声がした。 遠くもないし近くもない。 頼りない響きで、闇の中にゆらゆら揺れるオレンジ色の火の玉を連想させた。 「鈴木さん!?」 僕は思わず大声を上げた。 すると、右条は僕を引っ張って板敷きから廊下へと大股で移動した。 「あ」 この新しい正面校舎と旧校舎はこぢんまりとした中庭を挟んで建っている。 両校舎を繋ぐ渡り廊下は二階にもあったし、この一階フロアにも二ヶ所あった。 一つは、今、僕達が立っている地点の左手に。 もう一つは中央階段の向こう側に。 鈴木さんは向こう側にある渡り廊下の入り口付近に立っていた。 「佐藤君っ」 彼女は心細そうに自分自身を抱きしめて、僕を見るなり切羽詰った声を発した。 何十メートルかの距離をおいて立ち竦んでいるその姿は不憫でならない。 僕はもどかしくなって、依然として手首を捕らえている右条を見上げた。 「佐藤君、その人から離れてください!」 鈴木さんは長い髪を振り乱して声高々に言い放った。 「その人は山田君を殺したんです! みんな逃げて、彼だけ捕まってしまって……中村さんも吉田君も無事です! 早くこっちへ!」 こっちへ、と言われても、手首を強く掴まれているのだから行きようがない。 僕は右条と鈴木さんの顔を何度も交互に見比べた。 「その人、狂ってます! ここ、近くに精神病院があるから……そこから抜け出してきたに違いありません!」 鈴木さんの叫びを聞き終えて、右条は、クククと笑った。 絶句している僕を見下ろすと反則紛いの眼光をひけらかした。 「狂ってる、だってさ」 「……」 「どっちがマジで狂ってるのか見定めてくれよ、寅彦」 右条は颯爽と歩き出した。 鈴木さんは後退りしたものの、中庭に接するガラス窓に背中を張りつかせ、一年生の教室前で彼を待ち構えた。 「あ、貴方は人殺しです!」 鈴木さんは怯えきった表情で右条を威嚇する。 「人を殺した覚えは一度もないな」 右条は悠然とした態度で鈴木さんを嘲笑う。 やっと手首が解放された僕は階段の手前で彼等の様子を見守っていた。 「佐藤君、早く……誰か呼んできてください!」 当然、僕は鈴木さんの味方である。 もし右条が彼女に危害を加えようとしたら何としてでも阻止するつもりだ。 「佐藤君、早く!」 でも何故か彼女の言う通りに行動できない。 それは、きっと、あの眼光のせいだろう。 どうやら僕はよからぬ催眠術に着実に蝕まれていっているようだ。 「お願いです、早くーー」 「そのクソ演技はいつまで続くんだ?」

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