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フライトナイト-10

そこは美術室だった。 いろんな匂いが立ち込めた、美術用具で雑然とした教室だった。 木造のイスはテーブルの上にちゃんと片付けられている。 だけど一ヶ所だけ派手に散らかっていた。 テーブルに乗せられていたはずのイスが床の上で横倒しになっていた。 吉田君はそのテーブルに立って、苦しそうに体を折り曲げ、両手で顔を覆っていた。 「う、う、う」 苦悶の声と共にビリビリと布の裂ける音がした。 片方の肩が歪に波打っている。 手の方も左側が脈動しているのが視覚で確認できた。 体が急激に大きくなっているのだ。 右条には悪かったが、僕はギュウと彼の肩に爪を食い込ませた。 「迂闊に近づいたら殴り殺されそうだな」 右条の呟きに、元のサイズより一回り大きくなって尖りを帯びた吉田君の左耳が、ピクンと震えた。 ジャケットに変化は見られないが、中に着ているシャツは裂け目だらけだろう。 左肩がパンパンに張っている。 黒々とした体毛に覆われた左手の爪は見覚えのある鉤型に曲がっていた。 バサリと、髪の毛の半分が落ちた。 「ううう」 吉田君は獣が唸るように呻くと、両手の隙間からジロリとこちらをねめつけてきた。 「畜生、まだうまく……できねぇや」 それは見るに耐えない、この上なくおかしな変身であった。 「お前、ウケでも狙ってるのか?」 「違ぇよ……まだ場数こなしてねぇから……グフ、勝手がわかんねぇだけだ」 吉田君の左側は完璧に異形の成りをしていた。 髪の代わりに真っ黒な体毛が頭部から首にかけてびっしり生え、目は金色に爛々と輝いて、大きくなった手は僕の頭を握り潰すのも造作ないだろう強靭さに漲っていた。 その変貌は左側のみに留まっていて。 つまり右側は依然として人間の姿のまま。 吉田君は世にも珍しい半獣の異形と成り変わっていた。 「あ~、もう……これでいいや……グフ」 半獣は笑った。 左側の口角が耳の付け根まで裂けて、鋭く強化された臼歯をピンク色の歯茎共々剥き出しにし、粘ついた唾液を垂れ流しにした。 それでいて右半分は何ら異常ない唇だ。 まるで悪夢そのものだった。 「さて……んじゃ、行くぞぉぉぉお!」 半獣が跳躍した。 しかも僕達に向かって。 「あわわわわ」 立ち竦んでいたら右条に突き飛ばされ、右条自身は、僕が廊下に尻餅をつく前に反対側へと飛び退いた。 半獣が僕達の立っていたところに凄まじい衝撃音を立てて着地したのは、その直後だった。 「うらぁぁぁああ!」 半獣が突っ込んでいった先は右条だった。 正面攻撃を食らっては一たまりもないと踏んだようで、彼は勢い任せに突進してきたソレをふわりと飛び越えた。 そのまま美術室の隣にあった被服室に駆け込む。 体勢を立て直した半獣は座り込んだ僕には目もくれないで彼の後を追った。 外れかけていた美術室のドアが廊下にぶっ倒れた振動でプレートが小刻みに揺れた。 「う、右条さん」 気力を振り絞り、脱力しがちな膝を立てて腰を上げた。 被服室からは激闘を想像させる荒々しい物音が連続している。 僕はよろめきつつも、壁に沿って、開けっ放しのドアを目指した。 バン!  「え」 突如として閉められたドアに僕は唖然となった。 「右条……さん、右条さん!?」 ドアにしがみついて四角の小窓から室内を覗く。 目を凝らすと二つの人影が激しくぶつかり合っているのがわかった。 荒々しく息を吐く呼吸音も伝わってくる。 たくさんの丸椅子が床に散乱していて、長テーブルの所々が強力なパンチでも食らったみたいに凹んでいた。 居ても立ってもいられなくなって、何度もドアを引こうとしたけど、ビクともしない。 もう一つのドアに回ってみても同じだった。 僕は途方に暮れた。 どちらがドアに鍵をかけたのかはわからない。 でも、もしも右条がかけていたとしたら、それは足手まといになる僕を拒んでいるわけで……。 人質にとられて事態が不利になるのを未然に防ぐための行動だろう。 だけど、それなら。 僕の欲求など最初から断っておけばよかったのだ。 あの人は(リスク)を背負うのを覚悟した上で同行を許してくれた……。 「……右条さん?」 彼の、苦痛の声が、耳に飛び込んできた。 「右条さん!? 大丈夫っ?」 小窓越しの光景ではイマイチ状況が把握できず、僕は歯がゆさの余りしつこくドアを叩いた。 「ねぇ、右条さーー」 ドアがガラリと開かれた。 目の前に立っていたのは……半獣の吉田君だった。

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