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第65話
シン……、と静まり返る病院の廊下、母のすすり泣く声だけが響く。
不意に、処置室の戸が開き、中から医師が一人、やや険しい顔のまま出てきてこちらへ呼びかける。
「日種久弥さんのご家族の方ですね?」
『先生ッ!ヒサヤは!?』
堪らず声を重ねるようにして聞く親たち。
医師は立ったまま、親達に言う。
「……こちらで出来るすべてのことはやりました。が、大変危険な状態が続いています。傍で息子さんに声をかけてさしあげてください」
瞳を閉じ、重々しく伝えてくる医師。
これが、生きている間の最後の別れを叶えさせているように。
医師の後に続き両親と祥子は処置室の中へ入る。
満も久弥の元に行きたいと思ってしまうが、とても行ける雰囲気じゃない。
「っ……久弥ぁ」
処置台に横たわり、計器や輸血、生命維持に繋がる機械を装着された変わり果てた息子の姿に、母親は悲鳴を上げて座り込む。
その声は満の耳にもよく聞こえ……。
「ヒサヤッ!?」
はっとして満は、自分の立場も忘れて久弥のもとへ駆け込もうとする。
ヒサヤに逢いたい……。
ヒサヤを見たい……。
呼びかけたい……。
どうしてもヒサヤに触れたいから……。
しかし、その満の身体を、腕を、強く掴み制止させる人物。
「お前はしばらくの間、自宅謹慎だ。卒業まで家から一歩たりとも出さん!」
それは、父ではなく満の祖父であった。
父よりはるかに厳しい祖父……。
「ッ……お祖父さん!行かせてくださいッ!ヒサヤに、あのひとに、逢いたいんです!今すぐ顔を見たいんです……っ!」
痛々しいほど必死な満の言葉。
しかし、そんなことは祖父の前では通用しなかった。
「この大馬鹿者がッ!自分の愚かさに気付くまで私の書斎に閉じこもり、じっくり反省することだッ!」
怒鳴り、一発頬を叩き、満の身体を強く引く、抵抗する満を無理矢理引きずっていく。
「ぅッ嫌だっ、お願いしますッ、ヒサヤに……会わせてくださいッひと目でいいんですッ、ヒサヤにッ」
ドスッ――。
「……ぅ、くッ」
みぞおちを殴りつけられる感覚。
あまりに暴れる満に祖父は、腹部を容赦なく殴ったのだ。
崩れおちる満。
「……、強力な鎮静剤でも打って、私の書斎へ連れていけ、鍵をかけるのを忘れるな!」
祖父は満を健次に引き渡しながら、父に言って早々とこの場を後にする。
「……兄さん」
涙を零したまま気を失っている満。
そんな痛々しい兄の姿を見ているのが辛い健次。
しかし父に見張られていたため、日種久弥の元には連れて行けない。
そっと満を背負い祖父の車へ連れていく。
満を閉じ込める事を最後まで反対しながら。
結局、祖父の言いつけ通り、満は一人薄暗い書斎に閉じ込められていた。
そっと満が目を覚ました時には……。
「……っ」
ソファに横たわり、軽い布団が被せてあった。
薬の影響で、身体が重く頭の中が、ボーッとして上手く思考がまとまらない。
今、何をしたいのか…しなければならないのか、混乱する頭の中。
「……ヒサヤ」
だけど、無意識にでも呼んでしまうなまえ。
ふっと、誘われるように視線を移す満。
白く淡い光りが溢れるように満の瞳に入ってくる。
その中心には――。
満は、その光景にふっと優しく微笑む。
「ヒサヤ……」
そこには、優しい微笑みをたたえた愛するひと――。
久弥が立っていたのだ。
手を伸ばしても届かない距離。
だけど、満は手を差しのべる。
そのまま、満は温かい瞳に安心するように……瞳を閉じて、意識を失う。
それは――。
久弥の死亡が確認されたのと時を同じくしていた事を、満はまだ知らないでいた。
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