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第70話

満の心にある自分の記憶すべてを奪いにきた。 楽しかったコトも――。 嬉しかったコトも――。 愛し合っていたコトさえも――。 『ミツル、あれを……』 指差す先にあるもの。 久弥が満宛に下駄箱に入れて送った小さな手紙たち、大切な想い出の品。 机の上に重ねてある、その手紙の方へ向き。 久弥は……。 『……そとへ、もやそう』 柔かな声で……。 「……ど、して…?」 そんな、疑問の言葉も……。 ふっと見せた久弥の優しい笑顔に、瞳に吸い寄せられ、散ってしまうように……満の思考回路を止めてしまう。 満は、繋がれた点滴の針を抜き、立ち上がって……よたよたと歩いていく。 久弥に言われた通り、手紙をすべて手に収める満。 そして、促されるまま…… 一生懸命、久弥について、真夜中の庭へと危なげながら歩み出る。 『さぁ……きれいに、もえるから』 そっと促され……。 満は、広い庭……真っ暗闇の、そのなかで…静かに、沢山送られたものの一枚の手紙に火を灯す。 炎は、ひらひらと燃え移り――。 満の手を離れてからも少しの炎を立ち上らせて燃えていく。 「……綺麗」 強い意志を無くした満は、ぽつりと見て感じた光景を言葉にする。 『……消えない…うちに、ミツル』 その美しい炎が消えてしまわぬうちに……次を投じて。と、囁く久弥。 「……」 満は言われるまま、久弥の願うまま、二人の大切な記憶を燃やしていく。 それを、本当に辛い気持ちで見つめている久弥。 (――ほんとうは、忘れて欲しくない。俺のことを……すべてを) けれど、その願いを望んだとしても、満を悲しませ、苦しませ、そして不幸にしてしまうだけ……。 そう、気付いたから。 (ひとつひとつの大切な思い出、俺が覚えているから。満が忘れても、魂だけとなった俺が……ずっと覚えているから) 『もう…楽になっていいんだ。ミツル、約束を違えて、苦しませて……本当に、ごめん』 もはや……無心状態で手紙を炎のなかに投じている満へ……。 そっと告げる。 そして、沢山あった手紙たちも、ほぼ燃やされ…… 最後の一枚を火に投じる満。 久弥は――。 『……瞳を閉じて』 満の両の瞳に片手をかざし……。 『……ありがとう。さようなら…俺が愛した、ただ一人のヒト』 言葉を捧げ、すっと触れられない満の唇へキスを落とす。 記憶すべて、奪い去り……満から離れる。 満はゆっくり、その場に倒れる。 もう……満の心には届かないけれど。 『……俺は、ずっと。高いところから、君を見守っていくよ』 自分のことを、思い出してくれることは絶対にないのだけれど。 それが、満を、独り遺してしまった。 最も辛い気持ちを味合わせてしまった。 俺ができる、唯一の償いであるように。 自分との記憶のない満を、見守る事を誓う。 君が、再び…生まれ変わる、その時まで……。 また…出逢うために。 来世で逢える、その日まで――。 次に出逢う時には、俺達はきっと……幸せになれるはずだから。 永遠の……誓いのもとで……。 倒れ込んだ満の横で、燻り続けていた炎が、ようやく消え。 白い煙が夜空へと熔けてゆく。 それと同化するように、久弥の姿も闇に消えてしまう。 優しく……悲しい余韻を遺して――。

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