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流れゆく日々 8

 恐る恐るドアを開け、そーっと様子を見ながら部屋に入る。 「紫苑、ただいま」 玄関先で一度小さく言ってみたが、返事はない。 ――やっぱり、怒ってる?  紫苑はリビングに横になっていた。 顔を覗き込むと、眠っていた。 顔には涙のあと。  急に愛おしさがこみ上げ、静流が紫苑に寄り添って座ったとき 「・・・許さん」 そんな声が聞こえたと同時に、紫苑が勢い良く体を起こした。 「よくも戻ってきたな!!お前、俺が惚れた弱みで何でも許すと思ってナメてんだろ、え?!」 かっちょわりー… 激しく自己嫌悪しつつも、口が止まらない。 目を見て言えない。 「何が『僕紫苑の』だよ、朝帰りとか同伴とか他のヤツとはしねークセによ!もーてめーなんていらねー、高杉んトコでもどこでも行っちまや良かったんだ!」 一気に喋った紫苑の荒い息だけが部屋に響いている。 沈黙が流れる。 ぽろっ。 硬直状態の静流の目から、本当に音が聞こえそうなほど大粒の涙があとからあとから溢れ、新調の着物の上をぱたぱたと転がる。 「本当だ…僕紫苑だったらなんだって許してくれるって…ごめんね紫苑、だから…いらないなんて言わないで――」 最後の方は言葉になっていなかった。 頭をうなだれて、両手で顔を覆って肩を震わす静流。 しかし、もっと取り乱しているのは紫苑だった。 (しず泣いてるよ…俺がしず泣かしちまった…どっどーしよー!!――俺めちゃくちゃ言ったもんなぁ…)  格好が悪いほどおろおろして、変な汗まで出ている。  好きで好きでたまらないひと。 泣かす奴がいたらただじゃおかない、と思っているのに、その自分が泣かせてしまった。 愛する人を、酷い言葉で傷つけてしまった。 「しず…泣かねーでくれよ…どーしよ俺しず泣かしちまった…」 どうしていいかわからず、とにかく力いっぱい静流を抱きしめた。 こんなことして静流が泣くのを止めてくれるかどうかは分からないけど、今紫苑に思いつく行動はこれしかなかった。 「紫苑―…」 許された安堵も手伝って、静流は声をあげて泣き出した。 「いろいろみっともねーこと言ってごめんな。しずのこと絶っっっ対取られたくねーって思ったらつい…」 耳元で囁かれる聞き馴れた声を聞きながら、静流も次第に落ちついてきた。  不意に、紫苑が静流の体を自分の体から引き剥がす。 そして神妙な面持ちで言うのだ。 「なぁしず…しずは俺のんだけど…俺はしずのんか?…お前って俺がどんなカッコしたって何やったって何も言ってこねーし…」 言っちゃカッコ悪いと思ってたこと、言っても良かったんだ。  静流はそんな正直な紫苑がかわいく、また憧れでもある。 「笑ってないでちゃんと聞かせろよー」 「『これは僕のんだ。横取りしたら殺す』」 ……??紫苑はなにか引っ掛かっていた。 「それ…俺のパクリだろ!!」 しかも、今となればかなり恥ずかしい告白だと、紫苑は赤くなった。 「あ、着物…脱ぐね、ごめん」 高杉に作ってもらった着物をいつまでも着ていた事に気づいた。 「高杉さんのことはお客さんとしては大好きだったよ、でも」 帯を解こうとする静流の手を、紫苑が押さえた。 「今日はそのまま着てろ。…似合ってるから」 紫苑が更に顔を赤く染めながらそっぽ向いた。静流は嬉しくてまた涙が出そうになったが、頑張ってニッコリ笑った。 「嬉しいな。…でもそのうち、紫苑が脱がせてくれるんでしょ?」 その言葉を聞くや否や、紫苑は静流に飛びついてきた。 「そのうちと言わず!」 さっさと前を大きく開き、着物を肩からずらした。 「なぁ…俺ら大丈夫だよな。あんなことあってもまたこーしてられるってことは、大丈夫なんだよな?」  いつになく弱気な紫苑が可愛い。 なんでこんなに好きなんだろう、というぐらい。 好きすぎてどうしたらいいかわからない程に。

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