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流れ行く日々 19
翌朝も、静流の起床時間と対して変わらぬ時間に紫苑が起きだし、今日からバイトであると言う事を嫌でも分かってしまってまた腹立たしく思いながら、会話も無く家を出た。
紫苑のバイト先とは、町の小さな書店だった。
なんで人を雇うのか、というような、古びて客の入りも殆ど無い「本屋さん」である。
まともなバイト経験など無い紫苑は、カウンターにアゴを乗せて居眠り半分で店番をしていた。
初めてレジに客が商品を持ってきたのは、その日の午後2時をまわっていただろうか。
始めての客に緊張し、顔もマトモに見ずに慣れない『いらっしゃいませ』を言ったとき。
「…紫苑か…?」
客の声に反応して顔を上げると、予想もしない人物が目の前に立っているではないか。
「―――あっきー?」
「いつもすみません送ってもらってばかりで…」
仕事帰り。静流は車に乗っている。
運転席にはもちろん高杉。
年齢にそぐわね高級車を華麗に操る。
「いいんですよ、僕は静流くんに会えるだけで」
にこにこしながらそこまで言ったかと思うと、急に表情を一転させた高杉は急ブレーキを踏んだ。
「―――本当にそう思いますか?」
強引に抱き寄せて唇を奪う。
何時の間にか巧みに助手席のシートを倒し、静流に馬乗りになる。
「いつも会って、一緒に車に乗って、話して…それで僕が本当に満足してると思ってたんですか―――?」
静流はこのとき初めて、高杉に恐怖を抱いた。
「僕はあなたを愛してる。いつまでも理性のきく都合のいい紳士じゃない…!」
高杉の手が静流の下半身に伸びた所で、静流は本気で抵抗した。
「やっ、高杉さん離し…っ」
「どうして…?静流くんは僕のことなんだと思ってるの?いつも楽しそうに笑ってくれてたのに…―――お金なしじゃ僕には抱かせないってこと?」
『お金なしじゃ僕には抱かせないってこと?』
その最後の言葉だけが静流の脳を支配した。
「―――ごめんなさい…」
涙が後から後から溢れて止らない。
この人に、こんな酷い事を言わせてしまうなんて。
「静流くん…?誰に謝ってるんです」
徐々に冷静さを取り戻した高杉が問うが、静流は声も無く涙を流すだけ。
「どうして静流くんが謝るの…酷い事したのは僕のほうなのに!!」
吐き捨てるように言うと、高杉はゆっくりとシートを起こし、静流の衣服を整え、涙を拭いた。
「どうかしてたよ、本当にごめんね静流くん…」
静流の涙はまだ止まらない。
「高杉さんの気持ち知ってて、気のある素振り見せてた僕が悪いんです…確かに高杉さんといるのは楽しくて、店にいる頃からお客以上のものを感じてたけど…」
そこまで言い切ると高杉は困ったように笑って言った。
「僕はあなたが思っているような立派な男じゃありません。紳士のフリしていつもやさしく笑いながらずっと紫苑くんからあなたを奪う機会を狙ってました」
もう待ち伏せしたり一緒に食事したりするのはやめよう、そのほうがお互いのためだ、
そう約束して二人は別れた。
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