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流れゆく日々 37(最終話)
「樹っ?!」
うっかりして、カギをかけるのを忘れていた。
応答がなくカギも開いていたので、樹が中に入って様子をうかがっているのだ。
幸いモロには目撃されずにすんだものの、シーツにくるまって笑って誤魔化す二人は十分に今何をしていたかを物語っていた。
しかもさらにまずいことに、来たのは樹だけではなかった。
「母ちゃんが来たいって言うから連れてきたんだけど…」
赤面しながら状況説明する樹。
その背後には言葉通り、樹よりいっそう赤くなっている静流の母の姿があった。
「蒼城くん、これ…」
そう言って母が差し出したのは、静流の父が亡くなった時の香典返し。
そしておもむろに母が続けた。
「蒼城くん、あの時は本当に酷いことをお願いしてしまって…恨んでるでしょうね」
はっと紫苑の顔色が変わった。
大学生の時、紫苑から静流を捨ててくれと頼んだ、あのことを言っているのだろう。
「結局親は子供の幸せを願ってやることしかできないのに―――私はそれすらしようとはしなかった…!!」
俯き、涙ながらに吐露する母。
静流は意外だった。
小さい頃から、近所の、学校の評判を気にしてばかりだった母。
周りから誉められるようなことをすると母もまた誉めてくれた。
だから一生懸命勉強に打ち込んだ。
しかし、自分よりも学力も劣る、なにかと先生から注意を受けていたやんちゃ坊主の樹を母がとても可愛く思っているのも知っていた。
矛盾を感じながらも、そのことによって樹を恨むことはなかった。
「恥ずかしながら、やっぱりまだあなたたちのことを手放しで祝福してあげることはできないんだけど―――」
「当然でしょ」
母の懺悔中に紫苑が口を挟み、樹と静流は紫苑の次の言葉を待った。
すると紫苑は普段からは想像もつかないよう崇高ともいえる笑みを浮かべて、こう言ったのだ。
「こんないい息子、他人に取られて平気なワケない。それに―――俺、おばさん恨んでないよ。さってしず産んでくれたんだもんなー♪」
そう言って静流をぐいと引き寄せた。
そのとき静流は口にこそ出さなかったが、心の奥で密かに思った。
今更だけど、こいつに惚れられて良かった。
こいつを愛して良かった。
「なぁしず?」
と得意げに笑う紫苑を、たまらなく愛おしいと思う。
この先、まだまだいっぱいケンカもするだろう。
きっと波乱万丈な日々が待っている。
それでも共に泣き、怒り、笑いながら、深く静かに流れるような日々を、二人で歩いていく。
走る必要なんかない。
一歩一歩踏みしめながら、夢のような日々を過ごすのだろう。
【終】
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