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8.嵐の前の静けさ 4
暫く黙ると、彼女はゆっくりと顔をあげ右目からポロポロっと涙を落として見せた。
ついに泣き落としが来たかとまたため息をつくと、それでも諦めの悪い彼女は僕の袖を握りしめながら少し声を震わせて言った。
「学校を出て、最初の角まででいいから……一緒に帰って欲しい」
ものの百メートルほどの距離は“一緒に帰る”に値するのだろうか?
どんどん要求を下げて行かざるを得ない状況の中でも往生際が悪いなと思った刹那、また僕の中に打算的な考えが浮かぶ。
……あ、これは使えるかもしれない。って。
なんてまた悪巧みを閃いた僕は彼女の方を向いてにっこりと微笑んだ。
「最初の角までならいいよ」
期間は二、三日だけ。学校を出て最初の角まで。それ以外は受け入れないと言うと、彼女もそれでいいと言ったのでその話はまとまった。
教室に戻ると、視界の端で千秋が相変わらす僕のことを睨んでいるのがわかる。
もっと僕のことを気にすればいい。
もっと僕を見ればいい。
もっと意識して、自分のことを見て欲しいと願うようになればいい。
──そんなことを願ったりしながら、放課後はやってきた。
本当に面倒なんだけど少しは千秋を刺激できるだろうと、内川と一緒に千秋が教室を出たのを確認して僕も昇降口に向かう。
遠目に千秋たちの後姿を見ながら、自分の腹の黒さには正直呆れていた。
手に入れるためとはいえ、人を利用するのは良い人間のすることじゃない。
姉貴にバレたらきっと殴られるようなことだ。
それに、きっと真っ直ぐな君なら一生使わないような汚い手だと思う。
でも、どうしても欲しいんだ。
どうしても、君を手に入れたい。
どうしても……なんて、強く願ったことって今までなかったと思う。
自分がこんなにも欲深くなるなんて初めて知った。
そして欲深さを知れば、さらに貪欲になって今すぐにでも手を出したくなってしまう。
あの日の感触が忘れられない。
千秋の欲に溺れる眼も、匂いも、声も、温もりも……はっきりと覚えている。
だからこそ千秋が今、足りない…───。
千秋の後姿を見ていると、何度もうっかり呼び止めてしまいそうになるのだ。
僕は軽く深呼吸をして、気持ちを落ち着かせると靴を履き替えた。
すると、もう彼女は靴を履き替えて僕を待っていた。
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