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第2話

半年前、初めてこの坊に忍び込み、この美しい花を手折った時、その花がまだ無垢であったことに、俺は心底驚いた。 この人がこれほど美しく、またこれほどかよわい存在であるのに、この男ばかりの山寺でまだ誰にも手をつけられてずにすんでいたのは、この人が世が世なら帝であったかもしれないほどに、高貴な方であったからだろう。 政変に巻き込まれ、宮中を出て出家する他なかったとはいえ、この人ならば都の大きくきらびやかな寺院に入ることに何の問題もなかっただろうに、なぜか慈恩はわざわざこの(ひな)びた山寺にやって来た。 それならそれで、名目上だけでもこの寺の頂点に立ち、偉そうにしていればよいのに、慈恩はそれを望まず、ただ一介の僧侶として暮らすことを望んだ。 一介の僧侶とはいえ、高貴な血筋の人であるから、他の僧と同じ扱いというわけには行かず、一番良い部屋の一つを与えられたこの人は、日々を経典や貴重な書物を書き写して時を過ごしているらしい。 新しいものを生み出すでもなく、何かを変えようとするでもなく、ただ淡々と今あるものを後世へと手渡すためだけのその行為は、まるですでに自らの役目を終え余生に入った老人のようだ。 その老人のような、すべてを諦め切ったような人が、俺の腕の中でだけは、俺を拒みながらも色鮮やかに美しく咲く。 だからこそ俺は、こうしてこの坊に忍び込むのをやめることができない。

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