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偽紳士 其の二

 あれから、汐はちょくちょく町に姿を見せるようになった。  浮世離れした端正な顔立ちは、町娘を次々と虜にし、瞬く間に皆の憧れの的としての地位を勝ち取ったらしい。  その容姿だけを見れば、高嶺の花とも感じられるが、誰にでも優しく対応する気さくさと穏やかな笑みが、手を伸ばせば届きそうな幻想を町娘に植え付けてしまうようだ。故に、彼の周りにはいつも黄色い声が飛び交っている。時折聞こえて来る声は、お茶や遊びに誘う口説き文句に近いそればかり。  羨ましさはない。  むしろ汐に同情していた。  世良かて、時折女を侍らす事もあるが、ああやって多方面から恋心を向けられるのは至極面倒な事を知っている。自分の意中の相手ならともかく、あんなにも大勢の女達は邪魔だとしか思えないのだ。とは言え、自分を良く思ってくれている女達を邪魔だと一蹴する事には気が引けるため、彼女達の相手をする際は随分と気を遣って言葉を選ぶ。それを繰り返しているであろう汐も、内心うんざりとしているに違いない。  それでも彼は今日もまた、町娘達を魅了しながら過ごして居る。  帰宅途中。一人で歩く彼の背中を追いかける形になってしまったのは偶然だった。柳屋へ続く一本道。そこにあるのは田畑だけで、町の人間は農作業以外でこの道を通らない。  柳屋に用があるのだろうか。話かけるべきかと悩む世良を他所に、汐はくるりと身を反転させると、田の間を通るあぜ道を歩き出したのだ。舗装されていないあの道は随分と歩きにくいだろうに。足元の草花を掻き分けながら進んでいく。  確か、あのあぜ道の先は古びた古民家の庭へと続いていたはずだ。とは言え、こんな場所を通らなくとも、あの古民家には町の住宅地から入れる。むしろ、向こう側が正面玄関になっているのだから、わざわざこの道を通る理由がない。 「変なやつ」  彼に対する世良の感想は、その一言に尽きた。  出会えば軽く挨拶をする関係にはなっているが、それだけ。別にあの夜の事を引っ張り出して欲しいとは思わないけれど、もう少し親近感や感情の揺れを見せても良いだろう。彼はいつだって、世良に対しても紳士かつ他人行儀であった。 「あ。世良。丁度良かったわ」  聞こえた声に、世良は身を固めた。ここは田畑に囲まれた一本道。前方から歩いて来る母親に気付かなかった訳ではないが、その手に抱えられた風呂敷を見た世良は、刹那に逃げ出したくなった。 「おつかいを頼まれてくれる?」 「だと思った……」  母親から頼まれるおつかいは厄介な場所へ赴く場合が多いのだ。食材や宿屋に必要な用品の買い出しは馬鹿みたいな量を買ってくるように告げられるし、届け物を頼まれて向かった先々で婚約話を持ち掛けられて帰りが遅くなる。 「これを届けて欲しいのだけれど?」  手渡された荷物を拒絶する権利は、今の世良にはない。どうやら今回のおつかいは後者。折角、帰って昼寝を決め込もうと思っていたのに……。世良の予定は完全に崩された。 「ったく、どこに持ってけば良いんだよ」 「汐さんの家よ」 「汐……?」 「そう。貴方も会ったでしょ?」 「ああ、知ってるけど」  母親は汐の家を説明するなり身を翻して柳屋へと戻って行く。説明された場所はもちろん、あのあぜ道の先の古民家だ。どうやら母親も、あの道が古民家の庭に続く事を知っているらしく、きちんと表から伺うように、と釘を刺された。しかし、ここから住宅地に向かうのは些か遠いし面倒である。 「見つからなきゃ良いだろ」  既に母親の姿はないし、知られる心配もない。戻って来られたら怒られるだろうが、これからの時間は宿泊客の食事の準備で忙しいはずだ。いちいち息子が言いつけを守っているかを確認しに来る暇もないだろう。  ちらりと背後を確認した世良は、先ほど汐が通って行った道を辿るように歩き出したのだった。

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