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『特別』な人 其の三
『もでる』の意味はなんとなく理解できたが、『ついでに』の意味が分からない。何のついでだ、と問いただしても、上だけで良いから、と首裏の襟口を引かれ、世良はしぶしぶ肌を晒した。
「やっぱ綺麗ね。お前の桜は。世界一綺麗」
しんみりと世良の桜を満足げに眺める彼。
まるで彼の視線に撫でられているかのような、こそばゆい感覚が腕に走る。
「……あ、それ見せたいから首元に手当てて。そんで、斜め向いてね。視線はあっち」
細かく出される立ち方の指示に従う。被写体になったからには静止を余儀なくされる事は分かっていたが、想像以上の手持無沙汰である。喋るくらいなら良いだろうか、と。世良はささくれた畳を見つめながら彼に問う。
「汐さん。初めて会った時も言ってたよな、桜が綺麗だって」
汐と再会してから初めて口にするあの夜の事。
あの台詞も、彼の中ではなかった事になっているのだろうかと不安が過ったが、汐は存外容易に返答を口にした。
「言ったね。あの火事の時、色んな人の入れ墨見たけどさ、お前のが一番綺麗だった。それに、目に焼き付いて離れなかったんだよね。この町の彫師さん?」
「いや。隣町にしかいねぇから、通った」
「どおりでこの町の人達の絵柄がバラついてる訳だ。良い人選んだね、お前。凝ったデザインに自然な色味。なかなか居ないよ。そんなに綺麗な入れ墨持ってる人」
何があっても右腕の桜ばかりを褒める汐。桜の彫り物を選んだ過去の自分に感謝すれば良いのか、彫り物しか見られていない事に落胆すれば良いのか……。
正直、湧き上がる思いは後者で、肩を落としたいのは山々だが、今は姿勢を崩せない。
「それに、俺はお前に会えて良かったと思ってるよ」
「え……?」
「こっち見ない。視線は斜め。床見て」
「っす」
顔を動かした事を叱られ、世良は再度視線を落とした。
唐突な言葉に思わず聞き返してしまったが、聞き間違いでなければ、彼は自分に会えて良かったと言った。彼がこの先を望んでいるのかどうかは分からないけれど、世良は告げるべきだと思った素直な感情を、ぽつりぽつりと口にする。
「俺も……、汐さんに会えて良かったって、思ってますけど」
「そう」
「……なんで抱かなかったんだって、後悔もしてます」
「へぇ」
「嫌がりました? もし、あん時……、俺が抱こうとしたら」
「さあ」
此方は真剣に話しているのに、汐からの返事は心有らずと言った短いものばかり。
真面目に答えてくれない彼に苛立ちを覚え、思わず顔を上げた先。
「なあ、汐さん。ちゃんと……」
視界に入った彼の表情を見、その悪戯染みた笑顔に踊らされている事を実感する。
「ははっ。お前、ほんと良い顔するね。クソ餓鬼のくせに」
「……どーせ餓鬼っすよ」
結局、自分がどう足掻こうが、彼の掌で転がされている事には変わりがない。こんなにも餓鬼だ餓鬼だと連呼されれば、本当に自分が餓鬼のように思えてしまうし、実際、彼に手綱を握られ振り回されている現状には、埋められない歳の差を実感させられている。
「でーきた。最近、調子良いんだよね。マジで自画自賛できるわ、これ」
腕を組んで大きく頷く彼に近づいた世良。近づき覗き込んだ先に有るのは、紛れもなく世良の自画像だ。やはり、彼は今までに見て来たどんな絵師よりも実物に近い人間を描く。ただ、この絵を素直に喜ぶ気になれなかったのには理由があった。
「いや、なんで決め顔で勃起してんっすか……」
「流行りなの」
「そんな流行り、乗りたくねぇっす」
客観的に見た全裸の自分の姿を見るのは居た堪れない。
この心境を、汐だって察してくれているに違いなのに、彼は嬉々として告げるのだ。
「質感とかバッチリだと思うんだよね」
「股間指さしながら言うなよ……」
本当に自画自賛しているらしい汐は、自ら描いた世良の全裸から目を放さない。暫くその横顔を見つめるも、彼の顔に浮かんでいるのは絵への純粋な満足感だけ。あの夜、裸の世良を前にして見せた妖艶さの欠片もない。決して不満がある訳ではないけれど、なんだか遣る瀬無い気分になった。
「世良、モテるでしょ」
「唐突っすね。……まあ、それなりにはもてますけど」
「やっぱり。そろそろ、いっちょ前に婚約者とか作る歳なんじゃないの」
「話はありますけど、興味ねぇっすね」
「跡継ぎのくせに。とんだ親不孝者だ」
くすりと笑んで見せた汐の横顔はとても可愛らしい。両親は大事にしろ、なんて聞き飽きた台詞を吐かれたものの、その表情は宥めるでも諭すでもなく、ただ、楽しそうな、と表現すべき笑みがあった。
「……そう言う汐さんだって、恋人とか作らないんっすか」
「うん? 俺?」
ふいに此方へ顔を向けた汐へ、世良は小さく頷いてみせる。随分と子供だましな駆け引きだと我ながら思う。彼が自身の恋愛云々にさほど興味を持っていない事は知っているし、恋人を作ろうなんて気がない事だって見て分かる。
それでも、彼の口から聞きたい言葉があったのだ。
「俺も興味ないかな。作ったら邪魔だし、絵描く時間減るし」
「汐さん、面倒臭がりっすもんね」
「そ。恋人とか面倒。優しい汐君は二十四時間営業できません」
「『素』、見せれば良いじゃないっすか」
「それが出来れば苦労しないって」
汐はそう言って肩を竦める。彼は誰にも『素』を見せようとはしない。そんな彼が、こうやって面倒臭がりで、我儘で、気まぐれな面を見せてくれるのは、『世良だから』と。そう言って欲しかったのだ。けれど――
「そもそも、今は恋人を作る気もないしね。皆にチヤホヤされるのも悪い気しないし。それに、変に『素』を見せた途端、自分は『特別』だって勘違いして調子に乗る馬鹿がいるでしょ。そう言うの、正直迷惑じゃん。だから、俺は皆に優しい紳士な汐君のままで良いの」
淡々と告げられた彼の本心に、世良は言葉を無くしていた。勘違いをして自分を『特別』だと思う馬鹿女の迷惑さを理解しているのは自分も同じ。それなのに、いつの間にか世良自身も馬鹿女と変わりない期待を彼に寄せていた事に気付かされる。
「はは……。そういうの、迷惑、っすよね……」
同意をすべきだと思った。
震える声を必死に抑えつけ、どうにか笑みを張り付けて言葉を吐く。
どうか、再度筆を取った彼に本心が知られないように。
それだけを願ったのだった。
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