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彼との距離 其の二

「って、意外と片付いてんな」  ぼんやりと踏み入った貯蔵庫の中。綺麗に整頓された食材達を前に驚くほかない。あの面倒くさがりの汐が、地道に整頓をしている姿は想像も出来ないのだけれど、もしかしたら、食材を持って来てくれる町民達が入る事もあるのかもしれない。彼の紳士振りは、なかなかに徹底されたものだから。 「米と……、薩摩芋があるな。おっ、牛蒡も発見。何気に良いもんあんじゃねぇか」  次は献立を考えながら手にした食材を台所に運ぶ。  そこには既に、台所に面した障子を開け放って世良の戻りを待ち構えていた汐の姿があった。 「なんか、意外とちゃんとした食材持ってる。お前、料理出来るの?」 「今更何言ってんっすか……。たまに手伝いさせられっから、簡単なもんくれぇは出来ますよ」 「ああ、なるほど」  まずは食材を切らなければ。  包丁にまな板。ついでに鍋を探しておく。 「料理しないって割には、結構揃ってるっすね。道具。貯蔵庫も綺麗にしてあったし」 「あー。そのへんは任せてあるから。俺もどこに何があんのか知らない」 「任せる、って……誰に?」 「俺の料理番」 「え?」  きょとんと目を丸めて彼を見遣るも、汐は自分の発言が世良の心を大きく揺らした事など微塵も感じ取っていない様子だ。洗って干してあった筆を手にとり、宙に何かを描きながら遊んでいる。  自分以外の誰かがこの家に足を運んでいるなど想像した事も無かった。今まで、汐からそういった話も聞いた事がないし、散々入り浸っていたとて誰かと鉢合わせた事もない。  嫌に脈打つ心臓。  必死に冷静さを取り繕いながら、世良は調理を開始する。  けれど、頭の中を巡るのは、一体誰がここで汐のために料理を作っているのか、と言う疑問ばかり。考えれば考えるほど、湧き上がるのは嫉妬心。強く問いただしたいのは山々だが、世良に説明する必要性を訪ね返されては答えようがない。 「あの、汐さん……」 「んー?」 「今日は、その……料理番に飯作って貰わなくって良いんっすか?」  出来るだけ遠まわしに。他愛のない世間話を装って尋ねる。  ただ、この問いに返された答えが、更に世良を動揺させた。 「起きたら居なかったし。今日は作ってくんなかったみたい」 「起き、たら……?」  世良の手が止まる。まるで、料理番と夜を共に過ごしていたような口ぶりに、世良はそれ以上の言及を止めるほかない。汐にとっては聞かれたくない事ではないのだろうが、世良にとっては聞きたくもない事だから。  恋人は作る気がないと言っていた彼だが、料理番と言うくらいだし、汐が雇っている人間である事は確かだ。その雇用条件に、伽の項目が含まれている事だって無きにしも非ず。むしろ夜の営みが主な契約で、ついでに身の回りの世話を頼んでいる人間も少なくはない。世良が気まぐれに町娘に声を掛けていたように、汐だって定期的に発散したいと思うだろう。男なのだから当然の事だ。 「手ぇ止まってんぞー、クソ餓鬼」 「あ、悪りぃ……」  そんな世良の思考を他所に、汐は筆柄を口に銜えて遊んでいる。彼との距離は後方数歩。たったそれだけの距離がとてつもなく遠く感じてしまうのは、汐の心が自分に向いていない証拠だろう。手を伸ばせば逃げてしまうようなこの男とのやり取りが、今はどうしようもなく辛い。  そんな中。ああ、と。  世良は手を動かしながら気づく。  そうか。自分は、彼に振り向いて欲しいのだ……。

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