14 / 39
心 其の一
**
汐は、気まぐれで強引な上に、自分の思い通りにいかないとすぐに拗ねる。
そんな男を好きになってしまったのだから、彼の我儘に付き合ってやるのは世良の使命だとも言えた。出来る限りの事は二つ返事で承諾してやり、もちろん文句は言う。けれど、汐はそれでも満足そうだったし、世良も汐が楽しそうにしているのであればそれで良かった。
その我儘と強引さに世良が付き合ってやれるのは、きっとこの男と長らく友人をやってきたおかげだろう。今、世良の隣に座りそわそわとしている悠月は、汐に負けず劣らず強引で唐突な男だった。
「な、なんか緊張するわぁ……」
「茶屋で団子食べるだけで緊張すんなよ」
落ち着かない様子の悠月を呆れ眼で見遣る。
今日は悠月の希望により、噂の可愛い女が居ると言う茶屋へ強引に連れて来られていた。
世良の見慣れた茶屋と言う場所は、町娘達が集まって甘味を食しながら色々な話に花を咲かせている。そんな場所だったはずだ。しかし、今は町娘達の甲高い声は一切聞こえず、豪快な笑い声と唸るような低い声ばかりが響いている。客の九割が男と言う、なんとも異様な光景。
「あ、あの子やでっ。美玖理(みくり)ちゃん」
「名前まで調べて来てんのかよ」
「世良が乗り気やないから調べてあげたんやで?」
「乗り気じゃねぇのに、調べてあげた、は間違いだろ……」
目を輝かせた悠月が見遣る一人の娘。その容姿には、彼女がこの異様な光景を作り上げている事に納得できる程の可憐さがあった。皆の憧れの的である春姫を町一番の美女とするならば、美玖理は町で一番可愛い娘だと言える。
「悪くはねぇな」
「ちょっと世良っ、横取りはさせへんで!」
「あの子を俺に薦めてぇのか放してぇのか分かんねぇんだけど」
「どっちもや!」
無茶苦茶な主張である。
ただ、まあ……彼女がどれほど可愛かろうと、汐には敵うまい。
「……って、なあ。世良。あれ、やばいんちゃう?」
ぼんやりと他所を向いていた世良の袖口を、悠月が引く。彼が見遣っているのは相変わらず美玖理だったのだけれど、その先にある不穏な空気に世良も眉を顰めた。
「絡まれてんな」
「しかも、火消の人らやで。大丈夫なんかいな……」
火消は町の英雄だ。その一方で、傍若無人に振舞う火消達は荒くれ者。言い換えれば、一般の町民が逆らえるような輩ではないと言う事。そんな火消の二人組は、席に座れだとか、家を教えてくれだとか、随分と雑な絡み方をしている。
馬鹿馬鹿しい。あいつらは、もっと女の口説き方を勉強すべきだ。同時に彼女だって、自らの身を守る術を知るべきである。
そんな薄情とも言うべき考えを胸に、渦中から視線を外した時だった。
「彼女、困ってますよ。そのへんにしてあげたらどうですか?」
一つの影が、美玖理を庇うように火消達の前に立ちはだかった。
「ああ? 誰だ、てめぇ」
「俺の事はどうだって良いでしょう? ただの通りすがりですよ」
紳士的で温和な声色で火消達を宥めようとする彼は、柔らかい笑みを浮かべつつ、腕で彼女をその背に庇う。
「……汐、さん」
いつもは儚さすら感じる薄い背中。そこに一人の女性を隠した彼は、この世界の誰よりも頼もしく恰好良く見える。そんな彼の姿に、世良が目を奪われ言葉を無くした事は言わずもがな。
「へらへらしやがって」
「面貸せや、兄ちゃん」
「俺はこれから仕事があるので」
「んな事、構いやしねぇんだよ!」
火消の男が拳を振り上げた。握りしめられた、岩のようにも見えるそれは一直線に汐の顔へと向かって振り下ろされる。殴り合いの喧嘩になれば、汐に勝ち目はない。それは周りで傍観していた誰もが思った事だった。
ただ世良だけは、きっとこの場に居る誰とも違う感情を沸き立たせていた事だろう。
汐さんに手ぇ出そうってんなら、ぶっ殺す。
世良は、汐に殴りかかった拳の手首を掴み捻り上げ、悲痛な声を上げる男を睨みつけていた。本気の怒り。めらめらと燃える青い炎のような熱を宿した世良の瞳は、火消達にも脅威と映ったようだ。
「……調子に乗ってっと頭に言いつけんぞ、てめぇら」
「分かった、分かったから離せ、世良っ」
まさに、尻尾を巻いて逃げかえったと表現すべき火消達。
その背中を眺めながら、世良は一つ息をついた。
「ありがとう、世良君」
肩を叩かれ振り返った先には、人当たりの良い笑みを浮かべる汐の姿がある。そんな彼に対して乾いた笑みしか零せないのは、彼が随分と分厚い仮面をかぶっている事を知っているからだろう。
「君も、大丈夫だった?」
「あ、ありがとうございます……っ」
すぐさま美玖理へと視線をやった汐は、肩を竦めて「お礼なら世良君に言ってあげて」と心の底では思ってもいないだろう言葉を紡いでいた。
ともだちにシェアしよう!