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心 其の二
「えっと、世良様。ありがとうございました」
ぺこりとお辞儀をした美玖理の髪がふわふわと揺れる。
本当に愛らしい娘だ。
「気にすんな。ああ言う輩は腐るほど居んだから、愛嬌振りまくのも大概にしとけよ」
「あ、えっと、すいません……」
「謝る事はないよ。世良君も、君が可愛いから心配なんだ。そうだよね?」
にこにこしながら此方に同意を求める汐に対し、至極居た堪れない気分のまま小さく頷く。とてもやりにくいのだ。あまり目の前で紳士を演じられる事がない所為か、どうにも調子が狂う。
「では、私はそろそろ仕事に……」
「そうだね。あまり無理はしないように。危ないなと思ったら、ちゃんと店主さんに言って、助けて貰うんだよ?」
「はい。本当に、ありがとうございました」
てこてこと店奥へ入って行く美玖理を視線で追っていると、斜め横から随分と不機嫌そうな声が響く。
「あーあ。やっぱ男前はちゃうよなー。どうせ俺なんか、助けに行く事も出来へんへたれ男やもんなー」
唇を尖らせた悠月は、不貞腐れたように椅子に腰かけ足をばたつかせていた。彼女の気を引きたいのであれば、あれは颯爽と助けに行く場面だっただろう。それが出来なかった自分に腹を立てている、と言うよりは、理不尽に世良と汐を妬んでいるようだ。
「そんなに気にする事はないんじゃないかな? 世良君が助けに入ってくれなかったら、彼らに殴られて無様な姿を見せていただろうし。本当はとても怖かった」
この美人顔で、虚勢を張っただけだ、と言われた所で、悠月の妬みは収まらないだろう。彼らの話を聞いていた世良は今すぐに汐を抱きしめたい気持ちが込み上げるが、ここは我慢するしかない。
「そうだ、世良君」
「あ? なんっすか」
汐は世良を見ながらにっこりと微笑む。悠月への対応が面倒になって話を変えようとしているのだろうか。そのような態度は一切見当たらないが、彼の『素』を考えて一人納得してしまう。
「今から、仕事の依頼人に話を聞いてこようと思ってるんだけど……。近くの呉服屋さん。世良君は知ってるかな?」
「ああ、知ってますけど。つーか、仕事ってあんた、男の」
「掛け軸の絵を描いて欲しいって頼まれたんだ」
無理やり言葉を飲み込まされた世良は、そのままこくこくと頷いた。
「良かったら、一緒に来てくれないかな? 初めて行く場所だから、少し不安なんだよね」
彼は自分の告げた言葉通り、不安さを滲みだすように眉を下げて笑んだ。その表情は、傍で不貞腐れていた悠月の気持ちを変えてしまう程のもの。
「世良。行ってあげたらええんちゃう?」
「良いのかよ?」
「だって、困ってはるやん。俺の事は気にせんでええで?」
「悠月が良いなら良いけど……」
「ありがとう。じゃあ、お願い出来るかな?」
にこにこと此方を見遣る笑みに目が慣れない。今の汐は、まるで中身のない人形のように思えてしまうのだ。とは言え、悠月が行っても良いと言うのだから、汐の頼みを断る理由はない。
「ああ。んじゃ、行って来るわ」
「ん。気を付けてなー」
悠月に別れを告げ、ゆっくりと歩き出したものの。
汐と二人で並んで歩く道は、とても居心地が悪かった。
町娘達からの視線はいつもの倍に増え、妙に騒ぎだしている子もちらほら目に入る。まあ、見られているだけならさほど気にする事はない。今の世良が一番気になっているのはもちろん、隣を歩く紳士の仮面を被った男である。
「世良君」
「あ?」
「さっきの男の子は、友達なの?」
「ああ、悠月な。うちで働いてんだ」
「そう。とても賑やかな子だね。一緒に居ると楽しそうだ」
これは遠まわしに、煩そうだから関わりたくないと言っているのだろうかと、その真意を考えてしまう。ただの疑心暗鬼なのかもしれないが、要らぬ考えを巡らす所為で、彼との会話は精神的疲労を齎していた。
「なあ、汐さん」
「うん?」
「なんか、やりづれぇんっすけど」
きょとん、と彼の目が丸まる。
それから申し訳なさそうに眉を下げられ、
「ああ、ごめんね。無理やり案内をお願いしちゃって」
正直、まさかこのやり取りまで紳士な対応を貫かれるとは思ってもいなかった。
込み上げるのは、浅い苛立ちのようなもだもだとした感情。こんな汐は嫌だと拒絶したい訳じゃないのだけれど、何もかもをぶっ壊して暴れたいような衝動に狩られる。
世良は、胸中にある気持ちに合う上手い言葉を見つけられないまま。
目的地である呉服店にたどり着いたのだった。
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