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甘く優しく 其の一

** 「汐、さん」  がさがさと庭の草木を掻き分けて、世良は古民家の縁側へと歩み寄った。  汐は今日も変わらず筆を回しながら、絵と向き合っている。 「汐さん」  集中しているらしい彼に、今一度声を掛けた。ゆっくりと此方を向く視線が怖い。開き直って彼への気持ちを思い直す事もせずにここまでやって来た訳だけれど。やはり、この瞬間ばかりは逃げ出したい程に怖かった。 「ああ、世良。丁度良かった。そこの筆洗ってよ。手入れする時間もなくて困ってたんだよね」 「え、あ……はい、っす」  何も変わらない彼に戸惑う。それだけ言って、縁側に並んだ筆と桶を指差した汐は、機嫌良く男達の裸体を筆先で撫でているのだ。  桶に水を汲んだ世良は、並べられていた筆を一本づつ洗って行く。  筆先をじゃばじゃばと水につけ、どんどんと色が変わる水面を眺めていた。 「お前さ、なんで来たの」  汐の問いに、世良は視線を上げる事が出来なかった。  どうせ彼は平然とした表情で、絵と向き合いながら訪ねてきているのだろうと思ったから。 「……諦めきれないからっすよ」 「そう」 「あと、やっぱ……抱かせてもらおうと思って」 「ああ、お礼の件ね。良いよ」 「先に言っときますけど、俺……あんたのこと、好きなんで。だから、」 「知ってる。お前がどうしたいのかくらい分かってるよ、最初から」  ゆっくりと顔を上げた先。そこには、此方を見ながら満足げに笑う彼が居た。そうだ。汐には最初から知られていたのだ、何もかも。ならば、下手に取り繕う必要はもうない。  洗っていた筆を置き、世良はゆっくりと彼に近づいた。  冷静に、と繰り返す頭とは裏腹、世良の腕は強引に彼の細い体を掻き抱いて口付けを施す。  押し込んだ舌先。流し込んだ唾液は、彼の喉を通ってこくりとその体に馴染んだ。たったそれだけの事で、この上ない支配欲が込み上げた。堪らない、と彼の首筋に唇を這わせ、ゆっくりと着物を剥いでいく。  ぱさりと音を立てて、彼の着物が畳へと折り重なった。目前にあるのは艶めかしい肌。こんなにも美しい男を今から懐柔するのだと思うだけで、ごくりと喉が鳴る。 「堪んねぇ……。あんた、ほんと。どんだけ綺麗なんっすか……」  細い肩から腕へ。  摩るように掌を移動させれば、じんわりと彼の温もりが伝わって来た。 「俺は、お前の方が綺麗だと思うけどね」  汐はそう言って着物に隠されたままの桜を撫でると、優しく目を細める。その表情に、世良は思わず尋ねていた。 「俺のこと、好きっすか?」 「さあ」 「……あんた、いつもそうやって、んっ」  話をはぐらかすように口内を嬲られる。重なり合う舌と熱い吐息。世良は彼の体を抱き上げて布団へと運び、押し倒して口付けの続きを強請った。 「ふ、ぅ……んっ、は、ぁ……っ」  暫く口を塞いでしまっていた所為か、彼は肩を揺らして呼吸をしていた。どうやら少しがっつき過ぎたらしい。文句一つ零さない彼のしおらしさにはそそられるものの、出来るだけ冷静に、甘く優しく抱く事が今回の目的である。 「世良。ローション、あっちにある。あの棚ん中」  世良の肩を押した汐は、部屋に置かれた箪笥を指差した。『ろーしおん』とは確か、通和散の事だったはずだ。立ち上がり、棚を開く。通和散の包み紙をあけながら、世良は彼の傍へと腰を下ろした。 「使ってねぇんっすね?」 「使ってないけど」  寝転がったまま、汐は悪戯に目を細めて世良を見上げた。 「安心した?」  全てを見透かしているかのような瞳に、世良は肯定の言葉しか吐けない。 「……そりゃあな」 「じゃあ、俺の作品の為に、とびっきりエロい顔してよ」 「えろ、い?」 「はい、ほら。口開けて」  そそくさと起き上がった彼に、無理やり和紙を含まされる。くちゃくちゃと和紙を舐めれば、口内に広がる違和感に眉を顰めざるを得ない。 「不味いっすね、これ」 「そうなの? じゃあ、ちょっと一口」  胸元に凭れかかった彼からの濃厚な口付けに、思わず全身が震えた。少しばかり唾液に粘りけが出ただけだと言うのに、先ほどの口付けとはまるで違うもののように思えるのだ。 「お前、服脱がないと汚れる。……脱がしてやろっか?」  襟口を撫でる綺麗に指先に、世良は慌てて首を横に振った。 「いや、ちょ……、自分で脱ぎます」 「なーに照れてんの?」 「別に。照れてねぇっすよ」 「へぇ?」  彼はからかうように笑うも、世良の口の中から和紙を引っ張り出して距離を置く。世良が着物の帯を解いている間、彼は興味深そうに和紙を口に含んだり、唾液を引っ張り出したりして遊んでいた。否、彼は遊んでいるつもりなのだろうけれど、今の世良には、彼が自分を煽っているようにしか見えない。 「あんま長い間舐めるもんじゃないな、これ……」 「所詮はただの紙っすからね」  再度、彼を布団へと押し倒してから口の中に張り付いている和紙を取り出してやる。べ、と伸ばされる赤い舌。糸を引く唾液は至極妖艶で、世良は彼の口内を搔き乱すように指先を押し入れた。

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