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満月の夜 其の五

「……ったく、暫く酒は禁止っすよ」  世良が呆れ顔でそう告げたのは、落着きを取り戻した汐を布団へと転がした直後の事だ。彼に水を飲ませ、桶を洗っている間に、膨れ上がっていた股間はすっかりと平常へと戻っていた。 「……分かってる」 「本当に分かってます?」 「分かってるっつーの」  そう答えた彼もまた、少し酒を吐き出して楽になってきたようだ。その声色は、先ほどの熱に侵されたそれではなく、世良のよく知るいつもの声色だ。ただ、少し、不貞腐れている。吐いている姿を見られた事が恥ずかしいのか、すっかりと布団の中に籠城してしまっているのだ。  真っ暗だった空が、少しづつ明るみを含み始める。 「なあ、世良……」 「なんっすか」 「ヤる?」 「……念のために聞きますけど、なにをっすか」 「せっくす」 「分かる言葉で言って下さい」  小さく溜息をつきながらも、汐の言いたい事はなんとなく分かっていた。きっと彼は、世良に抱いて欲しいと言っている。照れ隠しなのか、未だ酔っぱらっているのかは分からないが、布団の隙間から覗く瞳は、世良の欲を煽るには充分な効果があった。 「……やらねぇっすよ」 「なんで」 「あんた、酔ってるでしょ。まだ」 「じゃあ、介抱して」 「介抱、って……」 「酔っ払いのお兄さんを、優しく介抱して」  体を重ねる行為を『介抱』との言葉に置き換えた汐は、おもむろに布団から手を伸ばして世良の膝をやんわりと撫でる。その所作に、表情に、つい先ほど飛散させたばかりの欲がむらむらと込み上げしまう。 「……っ、どうなっても知りませんよ」  思わず眉を顰めたのは、勢いのまま犯したい欲を堪えるためだ。獣染みた衝動を必死に奥歯で噛み殺し、少しばかり震える指先を彼の手に絡める。  ただ、汐はそんな世良の努力を、満足そうな笑み一つで取っ払ってしまった。 「良いね、その顔。すげー犯されたい」  剥ぎ取った布団の代わりに、世良が彼の上へとのしかかる。繋いだままの手は熱くて。どこからか吹き込む隙間風の冷たさすらも掻き消してしまうほどに濃厚で、執拗な口付け。上がる息が、互いの体温が、冷え切った室内の温度を上昇させていく。 「っ、ふ、ぁ……せら、ぁ……っ、」  撫でるように着物を暴けば、白く艶めかしい肌が目下に広がった。「寒い」と一言文句を吐かれたけれど、それは一種の照れ隠しだろう。此方へと手を伸ばす汐は、誰よりも妖艶で、愛おしい。どこからか取り出した通和散を世良の口に押し込む悪戯な笑みも、粘り気を増した舌先で愛撫する際に聞こえる嬌声も。その全てが世良の欲を掻き立て、抑えがきかなくなる。 「汐さん……、好きです。俺、あんたのこと」 「……っ、そう。ん、っぁ、ぁ……っ」 「どんだけ見つめても、触っても……、足りねぇんっすよ」  開いた腿の間で腰を折る。露になった後方へと唾液を擦り付けるように舌を這わせ、それを押し込みながら解していく。前回よりも容易に指先を飲み込んだ汐は、痛がる様子もない。聞こえてくるのは、湿り気と艶を含んだ喘ぎだけだ。 「っぁ……、世良、っ、ゃ、も、もう良い……からっ」  嫌だ嫌だと零す汐に力なく肩を蹴られ、世良は渋々体を起こした。指先の間で引く妖艶な糸。先程まで解していた彼の体は、更なる質量を欲しているかのようにひくついている。そこへ軽く切っ先を宛がえば、汐はびくりと体を揺らした。 「汐さん」 「なに、」 「俺のこと、好きっすか?」 「さあ」 「じゃあ、俺のこと好きって言ってくれたら、入れる。……って言ったらどうします?」  足を開いたまま、腕で顔を隠す彼の表情は確認する事が出来ない。入口から零れる蜜を伸ばす様に撫でていても、彼は薄い胸板を上下させるだけで、口を開こうとはしなかった。 「汐さん?」  聞こえて居ない、と言う訳ではないだろう。無視を決め込まれているのだろうか。たかだか『好き』と告げるだけで、こんなにも思案する必要はないだろうに……。  別に嘘でも良いのだ。世良はただ、彼の声が紡ぐこの二音が聞きたいだけ。出来れば彼の気持ちも此方へ向いてくれれば嬉しいのだけれど、汐への執着心は互いの関係を悪化させる要因でしかないと身を以て理解している。だから世良は、交換条件なんて方法を提示したのだ。けれど―― 「言わないよ、俺は。絶対に言ってやんない」  どうして彼は、ここまで頑なに世良の気持ちを拒むのだろう。外で居る時のように、分厚い仮面を被って「好きだよ」と一言、そう告げてくれれば良いと言っているのにも関わらず、だ。  彼はそれほどまでに、世良からの好意を迷惑に思っているのだろうか。  それなのに、どうして体の繋がりを求めるのか。  その答えは、多分、一つだ。 「抱いてくれるなら、誰でも良いってこと……っすか、」  体だけの関係になる事を危惧していた時期があった。あれから、変わりなく接してくれる汐に安堵し、危惧していた事すら、すっかりと忘れてしまっていたのだ。  気概無く俯く世良を見た汐は何を思ったのだろう。  ゆっくりと体を起こし、世良の顔を覗き込むように背を丸める。  ふいにぶつかった視線は、何故か世良を小馬鹿にするかのように笑っていた。

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