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玉手箱 其の一

**  大晦日と言えば、煤払いの疲れを癒すべく、正月に向けて蕎麦を食べてのんびりと過ごすのが、町民の定番。  一方、今ごろ柳屋では、今年最後の客人を迎え入れる準備に追われている事だろう。  大晦日くらい宿を閉めれば良いものの、近所に初日の出がよく見える山がある事から、この日ばかりは、商人よりも旅人や観光客が多い。客が来てくれる事が何よりも喜びである母親は、他町の宿がこぞって休業看板を出す中、忙しなく働く事に充実感を覚えるらしい。  いつもならば、猫の手も借りたい程の忙しさの中で走り回っている世良だが、今年ばかりは違った忙しさを味わっている。 「汐さん。何してるんっすか」 「俺、掃除きらい。寒いし、疲れるし、面倒だし」 「自分の家だろ……。碌に煤払いもしないで、正月が迎えられる訳ねぇじゃないっすか」 「お前、そう言うとこ真面目だよね。律儀って言うか」 「年末に掃除すんのは常識だろ。真面目でも律儀でもねぇっつーの」  世良の言葉にぷくうと頬を膨らませた汐は、床を拭くための古布を振り回している。どうやら彼には、掃除をする気は全くないらしい。こんな事になるならば、悠月でも非番の日に掃除係として向かわせておけば良かったと心底思う。 「早くしねぇと、大晦日終わっちまうだろ!」 「まだ昼過ぎじゃん……。カウントダウンまであと何時間あると思ってんの」 「知らねぇっすけど。つーか、あと数時間で大晦日が終わっちまうって分かってます?」 「あー……、そう言うこと。日が暮れたら一日が終わり、だっけ」 「今更なに言ってるんっすか……」  一人納得した様子の汐だが、相変わらず古布は宙をぐるんぐるんと舞っているだけだ。とは言え、世良がせっせと掃除を済ませたおかげで、残すは奥間の掃除のみ。  世良は小さく息をつき、目の前の障子を見遣った。  普段、汐は居間で過ごして居るので、世良かてこの奥間に続く障子を開いた事がない。一体、どんな惨状が広がっているのやら……。  少しばかり怯みそうになる気持ちに発破を掛け、世良は最後の一間へと踏み込んだ。 「……って、意外と片付いてるんっすね?」  奥間に並んでいたのはいくつかの棚。四角い箱やら筒が置かれているこの部屋は、汐が描いた絵を置いておく場所なのだとか。誰かが出入りをする場所なのか、庭にある倉庫同様、綺麗に整理整頓が成されている。 「こないだ掃除したとこだからね。そこはもう良いよ。はいっ、掃除終わり。おつー。ってことで、蕎麦茹でて。蕎麦食べないと年越せないから、俺」  意気揚々と身を翻した汐は、手にしていた古布をぽいと世良に向かって投げ捨てた。しかしながら、彼が放った布はまるで違う場所へと舞い、棚の上に置かれていた箱を巻き込みながら床へと落ちる。  ごとん、と音を立てた箱からは、何枚かの絵が顔を覗かせていた。 「っちょ、汐さん。これ、売る絵なんじゃないんっすか」 「んー? ああ、それは俺のコレクション」 「何っすか、『これくしおん』って」 「大事なものって意味」 「大事なら、大事そうに扱って下さいよ……」  文句を言いながら箱を拾い上げる。一方、大事なものを放り出したままの汐は、火鉢のある居間へと戻って行ったらしい。本当に、これは彼の大事なものなのだろうか……。  疑問が込み上げると同時に、彼が『大事だ』と言ったこの箱の中身が気になってくる。 「……見るなとは言われなかったしな」  手を動かす前に、言い訳が口をついた。  それから再び入り口を見遣り、汐が居ない事を確認した世良は、恐る恐る箱の蓋を開いたのである。 「大事なもの、って……」  それ以外に、何も言葉が出て来なかった。  箱の中に在ったのは、紛れもなく汐が描いた絵である。 「俺、ばっかじゃねぇか……これ、」  何枚も出て来る世良が描かれた絵。捲っても捲っても、そこには彼の前で見せている自分の姿しかない。縁側で筆を洗っている姿や、料理をしている横顔、寝顔だって、行為中であろう恥ずかしい表情までもが、この箱には詰まっていた。 「なん、で……」  箱の底へ近づくほど、身に覚えのない絵ばかりが描かれている事に気付く。町を歩く世良の背中や、悠月と二人ではしゃいでいる姿。そして、世良の自室で汐に酒を差し出す自分の笑顔がある。  そんな箱の一番底。この『これくしょん』とやらの始まりに描かれていたのは、炎を前に額の汗を拭う世良の姿だった。 「人の大事なものを覗き見するなんて、感心しないねぇ? クソ餓鬼」  後方から聞こえてきた声に、思わずびくりと肩が跳ねる。  落としそうになった箱を必死に抱え、世良は恐る恐る首だけを回した。 「わ、悪いっ、つい……気になって、」  慌てて箱の蓋を閉めるも、世良の抵抗は完全に無意味な行為であっただろう。箱を元の場所へと戻そうとした世良の手を掴んだのは、相変わらず何を考えて居るのか分からない汐であった。 「つい、でプライバシー侵害されちゃ困るんだよね」 「ぷ、ぷら……?」  戸惑う世良を他所に、汐はその箱を強引にひったくり、元に場所へと戻した。  怒っている訳ではなさそうだけれど、その所作は些か強引だった。

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