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第2話
翌朝、熱は幾分下がったようだったが、酷い節々の痛みに貞之は苦しんだ。
痛む体を押して確かめてみると、格子戸は閉まっており、几帳の位置も整っている。だが、昨夜の出来事が夢でもなければ勘違いでもない証に、貞之の手元には他人の単衣が残されていた。
「痴れものめ!」
貞之は忌々しげに吐き捨てたが、昨夜受けた暴行のせいでますます喉が荒れていて、悪態はほとんど声にもならなかった。
日が高く上がる頃、やっと女房たちも病人の事を思い出したらしい。部屋に水と粥が届けられた。だが、それきりまた人気がなくなる。屋敷の中でもかなり端の方にある貞之の部屋は、もともと人の気配が乏しい。それにこのままひっそりと儚くなっても、悲しんでくれるものもあまりいない。
唯一の肉親であった母は、数年前に亡くなった。若い頃には佳人の誉も高かったそうだが、貞之が物心つく頃には鄙びた宇治の山奥にある屋敷に住み、今から思えば寂しい暮らしをしていた。生家の話は聞いたことがないので、失職するなどして頼れぬ状態だったのだろう。その母が亡くなり、貞之は京の六条にある父の元へと引き取られた。
宇治に居た頃、年に数回訪れる父は頼りがいのある優しい父だった。けれど六条の屋敷に移ってみて分かったのは、年に数度であったから優しい父であれたのだということだ。父には正妻と正妻の産んだ嫡子と姫がおり、貞之が家族としてその中に迎え入れられる余地はなかった。
東の対の屋に住む彼らは、鄙で育った貞之とは顔を合わせることさえ厭っている。貞之は西の対の屋の端、下男たちの部屋のすぐ側に小さな部屋を与えられ、下男たちとあまり変わらぬ扱いを受けた。
父は権門藤原家の一員で、中納言の官職をいただいている。兄は従五位の小納言だ。二人は貞之が血縁であることを公にしていない。そのため口利きで就いた官職も地下の役人である六位が精いっぱいで、屋敷の中でも宮中に参内しても、殿上人である二人と顔を合わせることはほとんどなかった。仕方なしに引き取っただけで、父は亡き母に瓜二つの貞之を見るのが辛いのかもしれない。
可能ならば早々に通い先でも見つけて家を出るべきなのだろうが、身分も後ろ盾もない身ではなかなかそうもいかない。宇治の山荘が懐かしいが、あそこに戻ってももう人もおらず、すっかり荒れ果てているのだろう。役目を辞して下ったとしても、食うに困らぬ蓄えもない身では、民に混じって山菜や魚を獲って食い繋ぐ以外にない。それが容易いことだとは思われなかった。
早く体調を取り戻して明日にでも職に戻らなければならなかった。地下の官吏などというものは、すぐに代わりを立てられて居場所がなくなってしまう。職場にさえも居場所がなくなれば、貞之はもうこの六条の屋敷に居続けることができなかった。
夕刻になって幾分体調が戻ったように感じた貞之は、明日こそは出仕しようと、湯桶を持ってこさせて全身を拭き清めた。だがその無理が祟ったのか夜にはまた熱が上がる始末で、貞之は虫の音を聞きながら浅い眠りを繰り返した。
昨夜とは打って変わって、今宵は月が明るい。
格子戸の隙間から洩れる月光を見るともなしに見ていた貞之は、いつの間にか虫の音が止んでいるのに気がついた。
耳を澄ませていると、かたり、と格子戸が外から動かされる音が聞こえた。見れば、閂がかかっていない。あっと思う暇もなく、烏帽子をかぶった人影がするりと室内へ入ってきた。
――まさか、昨夜の痴れものか。
よもや二晩続けて部屋を間違えてくるとは思いもよらず、油断しきっていた貞之は、自由の利かない身体を褥の上に起き上がらせた。こんなことだと分かっていたら、昼間の具合の良い時にちゃんと閂を確かめておいたものを。
「部屋を間違っておられるぞ」
掠れた声を絞り出すようにして機先を制す。
人影が虚をつかれたように一瞬動きを止め、その後幽かに笑った。
「昨夜はそうであったが、今宵は間違えておらぬ」
嗅いだ覚えのある香が漂った。深みのある低い声は堂々としていて、身分卑しからぬ様子だ。貞之は慌てて言葉を重ねた。
「私はこの家の間借り人で、地下の官吏を務める者。貴方がどなたかは存ぜぬがお相手は致しかねる」
袿を掻き集めて後ずさる気配に、人影は慌てもせずに首を傾げて見せた。
「おや。朝には艶めかしい返歌を詠まれながら、陽が落ちれば心変わりとは、なんともつれないことをおっしゃる。さては私を弄んでおいでかな……?」
歌など、全く身に覚えのない話だ。近づく人影から必死で逃げながら、貞之は東の対の屋に住まう妹姫がちょうどそういった年齢であることを思い出した。貞之の知らぬ間に婚姻話が進んでいたらしい。
返歌と言う以上、男は後朝の歌でも送ったのだろう。受け取った女房達は、それを妹へのものと思い返歌した。色好い返事であったと言うのなら、この男は父が求めるような衣冠の持ち主のはず。少なくとも、貞之よりは遥かに身分の高い相手には違いない。
男女の区別もつかぬ色惚け貴族め、そう内心で罵りつつも、それを口に出すわけにもいかず、貞之は必死で部屋の隅まで辿り着いた。戸を開けて人を呼ぼうと息を吸い込んだ口が、大股に近寄ってきた相手の掌に塞がれた。
後ろから抱きすくめるように密着した男が、耳元に囁く。
「昨夜の無体をお怒りなのでしょうが、無粋な真似はおよしなさい。――誰も来ませんよ」
手を振りほどこうと暴れたがびくともしなかった。立派な体躯の持ち主で、しかも色事には相当手馴れているようだ。アッと叫ぶ暇もなく、貞之は口を塞がれたまま、後ろから男の片腕に抱き上げられていた。
褥の上に下ろされると同時に体から袿が奪い去られ、下に着ていた単衣も半ば脱がされる。口を塞がれる息苦しさに、貞之は頭を振って力いっぱい足掻いた。
「そう抗われるな。さすればもっと貴方を大事に扱える」
人違いだと訴えたくても口は塞がれたままだった。ただでさえ熱のある身体は力が入らないのに、昨夜の名残で身体中が痛む貞之は、碌な抵抗ができなかった。
「それとも……嫌がる素振りが余計に男を煽ると、承知の上での御振る舞いかな」
ぞくりとするほど艶っぽい声が耳を擽った。そこに男が滲ませた脅すような色が、貞之を恐怖で竦ませる。昨夜の無体がまざまざと思い出された。
圧倒的な力の差で押さえ込まれ、拒んで口を噤む場所を手酷く蹂躙されたのだ。入り込んできた男の持ち物は大きくて力強く、容赦なかった。貞之を年端も行かぬ姫のように軽々と組み伏せ、力で以て純潔を奪い取り、中に婚姻の証を吐き出して去った。
夕刻身を拭った時に零れ出てきた汚れの多さに、ゾッと背が寒くなったことを貞之は思い出した。
貞之の抵抗が止んだのを確かめて、掌が外された。元より、人を呼ぼうにも声も禄に出ないのだし、力で敵わぬことは前夜に分かっているのだから、抵抗は無駄だ。
貞之は男を間近に見つめながら、掠れる声で訴えた。あとは言葉に頼るしかない。
「……貴方はお人違いをしておられる。私は貴方のお戯れにお応えできるような身の上ではありません」
至近距離で見た公達の顔は、歌に詠まれてもよいほどの美貌だった。歳は三十路のあたりだろうか。それなりに経験を積んでいるらしく、口元には余裕の笑みが浮かんでいる。纏う香は深く、直衣には丁寧な織が施されている。高貴の家に妻問いに訪れた貴公子そのものだ。
真意の読めない深い闇色の瞳がまっすぐに貞之を見つめていた。貞之はごくりと唾を呑んで、言葉を続けた。
「私などを相手にして、貴方が物笑いの種になってしまうのが案じられます。家の者に気付かれぬうちに、どうぞお帰り下さい」
挑むように見つめ返しながら、囁くような掠れ声で貞之は言い募った。貴族社会では悪い噂が出世の妨げになるのはままあることだ。貞之は身分卑しからぬ男の立場を逆手にとって、風評を盾に脅して見せたのだ。
それを聞いた端麗な美貌に、滲むような笑みが浮かんだ。
「つれないことをおっしゃる」
それは同性の貞之をもってしても、思わずどきりとさせるほど艶っぽく、魅惑的な表情だった。だが、その形良い唇から零れ出た言葉は貞之の期待を裏切るものだった。
「ここまで来て何もせずに帰る方が、よほど物笑いの種でしょうよ」
「なに、を……!」
何もせずには帰らぬと言うのなら、いったい何をするというのか。
警戒して身を離そうとする貞之の肩を、男の手が捕らえた。
「諦めて私に全てを委ねなさい。……熱に浮かされた一時の夢と思って」
唇を寄せてくるのから、貞之は必死に顔を背けて拒絶した。どこのふざけた遊蕩貴族かは知らないが、口説けば誰でも言いなりになると思っているのか。
確かに、男は冴え渡るような貴公子だ。ふわりと漂う艶やかで深い香は、趣味の良さと財力を示している。家柄も良く、教養もあるのだろう。生まれてこの方自由にならぬものなど何一つないまま長じたのに違いない。
だが、貞之は違う。
地位でも身分でも財力でも、腕力でさえ敵いはしないが、だからといって気持ちまでもを自由にさせる気はない。遊びの恋に慣れた女房達や、戯れに身を売る遊女とも違う。男から見れば塵芥のような身分であっても、懸命に己の力で身を立てようとしているのだ。逆らうことはできなくても、男に追従して拒絶の意思までもを捨てる気はなかった。
「……思いもかけず強情なお方だ」
拒絶を示して顔を背けた貞之に、男は苦笑を一つ漏らして覆い被さった。
首筋に吸い跡を残しながら、男の身体が下がっていく。単衣もすでに取り払われ、貞之は裸にされていたが、男の直衣は乱れてもいなかった。
性感を煽るように男があちらこちらの柔肉に吸いつき、軽く歯型をつけて舐る。そうしながら、昨夜は一度として触れなかった貞之の男の象徴にも指を絡めてきた。悔し涙が滲んだが、貞之はそれを悟られまいと拭いもせず、しゃくり上がろうとする胸を必死で抑えた。無論、男の手の中で嬲られるものは萌すこともなく力無いままだ。
諦めた男は、貞之の体を表に返すと、昨夜のように両足を開かせてその間に身を割り込ませてきた。まだ鈍痛が残る窄まりに濡れた指が潜り込んでくる。
「息を吐いて、少し緩めなさい。このままでは私より貴方が辛いはずだ」
男はそう言ったが、息を継ぐと嗚咽が漏れそうでできなかった。元服もとうに済んだ身で、童のように声をあげて泣くなど、どうあってもこの男には見られたくない醜態だ。
男は入口を解すように暫し馴らすと、やっと衣を緩め、昨夜と同じように硬いものを押しつけてきた。
身体の中を割いていかれる痛みと苦しみが生々しく思い出されて、堪えていた喉がついにヒクリと鳴った。一度鳴ると、それは続けざまに胸を押し上げ、止まらなくなった。
「……かわいそうに。だが、やめてはやれぬ。覚悟を決めて、私に任せてしまいなさい」
硬い先端がゆっくりと肉を掻き分け、狭い入口を押し入ってくる。貞之が上げた憐れな悲鳴は、掠れすぎて音にならなかった。
男は昨晩よりもよほど時間をかけ、太く硬い異物をじりじりと埋め込んでくる。だが昨夜の乱暴から回復しない肉は、慎重なその動きにさえ焼けつくような痛みを訴えた。苦痛に身を竦めるたびに男が動きを止める。だが決して退くことはなく、力が少しでも抜ければ、凶暴なまでに猛った逸物が狭い道を押し拡げて奥へ奥へと進んでくる。昨夜ほどではないにしても、容赦のないやり方だった。肌と肌が密着して全てが収まったと知れるまでが、永劫に感じるほどに長かった。
「あぁ……貴方は温かい……」
すっかり身を収めた男が満足そうな溜息をついた。熱っぽい臀部にひやりとする男の肌が触れている。力強く脈打っているのは、男の体だろうか、それとも貞之の体か。
上から圧し掛かられた貞之は、男の体の重さと息苦しさ、それに体内を犯す塊の大きさに喘ぐように息をついた。男は嬉しそうに笑みを漏らした。
「貴方の中に私がピタリと収まっているよ。貴方の体は私のために誂えられたようだとは思わぬか」
耳元で熱っぽく囁かれる美声もまともに耳には入らなかった。
相手の衣にしがみついて苦痛に耐えていると、衣から立ち上る薫香が鼻腔いっぱいに広がる。媚薬を吸ったように体の中まで香に侵されていきそうだった。
「愛しい人……貴方は神仏からの賜り物だ」
その言葉と共に、ゆっくりと体が揺すられ始めた。勝手なことを言うなと罵ってやりたかったが、悲鳴も悪態も音にならない。体の中を男に犯される衝撃に、喉からは喘鳴が止まなかった。言葉遣いは優雅なのに、無力な姫に襲い掛かる夜盗のように、男は荒々しかった。
「……も、ぅ……お許し、を……」
屈辱に震えながら許しを請うと、男の手が下腹で揺れる貞之の屹立に伸びた。緊張の為かいくらか硬くなったそれを嬲られる。抉られる腹の底が一層苦しく感じられて、拒むように首を振ったが許してはもらえなかった。
意識がはっきりしているせいで、行為の何もかもが昨夜よりも苦しく感じられる。押し拡げられた体の奥が、無体な扱いに抗議するように時折きゅっと締まった。男はそれを感じとると、小刻みに体を揺らして締め付けを愉しむようだった。それをされると一層下腹が縮み上がって、痛みを訴える。男に比べればささやかな屹立を長い指で上下に扱かれて、もやもやとした圧迫感に貞之は小さく悲鳴し続けた。男の動きが徐々に激しさを増していく。
「あぁ、もうもたない……貴方は私のものだ……!」
男は一方的な睦言を交わすと、貞之の身体の奥に熱の証を吐きだした。
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