34 / 50

第34話

***   ふと顔を上げれば、やはり、「海森 祭音」の札。   青空の誕生日から何日経っただろう。4日、そこら。青空にはずっと咲夜の世話をやらせている。   家に帰らなくなって5日。親は呆れて、養子がどうだのと言っている頃なのは知っている。   咲良はドアノブを引いた。ここは逃げ場。   静寂。この前来た時、それは昨日か。昨日来た時と全く同じ音。   いくつものチューブとコードに繋がれた、小さな体躯。   もう少しで髪も肩につくだろう辺りまで伸びている質の良い鼈甲色の髪。   咲良は髪に手を伸ばす。頬が緩んだ。     お前の兄は、お前のために、こんなに尽くしてくれてるのにね。   大きな絆創膏を貼られた頬を撫でる。   咲良は祭音のベッド付近にあるパイプ椅子に腰掛けた。   茶色に変わった草臥れた薔薇が視界に入る。花瓶に支えられて、なんとか起きている状態。   咲良は考えるよりも先に、パイプ椅子から立ち上がった。   洗面器具が壁に取り付けられている。そこに取り付けられたラックの上に置いてある薔薇の花瓶。前に立つと、鏡に、今は枯れた薔薇のアーチ越しに自分の姿が映る。   咲良は薔薇の花瓶に手を伸ばした。   ギィ・・・・と音がした。 「失礼するね、祭音・・・・」   咲良は驚いて、手を引っ込めようとしたが、花瓶に引っ掛かる。花瓶は白い床に落下する。  ガシャンっと反響しやすい病室。飛び散る破片。 「あ・・・・・」   先に声を上げたのは、部屋に入って来た少年。咲良のよく知る彼は、青空。 「・・・・・」   咲良は、青空を睨んだまま目が合ってしまう。 「祭音の為に、来て下さったのですか・・・・・?」   青空は微かな笑みを貼り付けている。   咲良は、ふん、と青空から目を逸らす。   沈黙。    青空は祭音の横たわるベッドに寄る。   沈黙。    咲良は花瓶の破片を拾っていく。   沈黙。 「解放してやるよ。海森祭音の治療費は支払い続ける」 「え・・・・・咲良・・・・・サマ・・・・・?」  青空は動揺を露わにする。 「・・・・・この年だ。他の学生は恋人はべらせて楽しくやってる。お前もそうでいいと思うんだ」  綺麗な美しいこの奴隷。下駄箱で一緒にいた、髪の染まった軽そうな女。 「え・・・・あの・・・それは・・・・・この前の・・・・?」 「・・・・・・・・・好きにやれよ・・・・・っ!お前はちゃんと、お前の人生歩んでろよ!」   そうだ、僕になんか身体売ってないで、妹になんか縛られていないで、あの女と仲良くやってればいい。お前の思う通りの人生、歩めばいい。 「帰れよ。この子は生かす。お前は、もう妹に縛られるな」 「でも・・・・・・・っ。祭音は私の妹で・・・・」   咲良は、清掃用具を借りて来ようと、青空に背を向けた。 「よぉ、咲良サンよぉ」   声質は同じ。違うのは高さ。 「・・・・・寛貴・・・・・」   背後からの声。   ふと出た名前。 「それを呼ぶのは、咲良サマだけだな」    咲良はゆっくりと振り向く。 「祭音は、死ぬんか」 「装置を外せば、ね」 「・・・・・・そっか。別に興味は無いけどよ」 「実の兄貴の君じゃなくて、もう一人の人格が妹の心配してちゃ世話無いね」   気付いてた。そう、気付いてた。 「はっはは。言ってくれんじゃねぇーの」 「・・・・寛貴・・・・」 「もぉ、いいんだ。祭音も長く生きねぇんだろ。咲良サマも大変だな」  青空は祭音が目覚めると信じているけれど、この人格はそうでもないようだ。   今やっているのは治療ではなく延命でしかない。 「いいんだよ。僕は海森祭音を僕がもう一人の君を縛るために利用しているだけなのかもしれないんだから」 「結局咲良サマの心はコイツに向いちまったと?」  青空は自分の胸元を指した。 「別に構わねぇよ。ただ、咲良サマも咲良サマで、けじめはつけといたほうがいいんじゃないのか」    咲良は俯いた。

ともだちにシェアしよう!