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第37話

  蒼多が入院して三日。学校では寛貴は一人だった。しかし、毎日通う病院へでの話題のネタとして、前の生活に戻らず、この時も真面目に授業を受けていた。   侍女に褒められては、「じゃぁ何か美味しい物でも作って」と強請っては蒼多の元へ持って行った。財力なら十分にあるのに、嫁ぎ先の海森家の財力には頼らないつもりで、パートで働く母親。彼女は問題児である寛貴を恐れ、忌み嫌っていたから相手などしてくれなかった。   父親がいい職業(何なのか記憶にない)で、それだけでなく、父親が一人っ子で亡くなった祖父の財産も大金だったこともある。   父親もやはり寛貴を恐れていて、母親に暴力を振るっていたのを寛貴は知らないフリをして、実は知っていた。   絢爛豪華な暮らしをする父親と祖母、寛貴。家の片隅でその暮らしを拒んだ母親と、その母親についていく祭音。   蒼多が好きだった。友達とか、男とか、そんなのはもう関係がないように。   お互いの器量が良く、中性的な顔立ちをしていた。   色素の薄い、ハイミルクチョコレートのような薄い髪の蒼多。   青を帯びた黒い髪の寛貴。   蒼多が好きだった。綺麗な薄い茶色の髪と、それと同じ色をした大きな瞳。最初は本当に身体が弱そうで、穏和しそうで内気で人見知りするヤツなのかと思っていたけれど、それはただ猫を被っていただけで。実際は賢くて、気丈で、芯が強い。勝気で、少し皮肉屋で。優しくて。      怖くなんて、ないよ。退院すれば、また、寛貴に会えるもん   胸が苦しくなった。何故。蒼多を傷付けるこの病気で、俺達は出会ってしまった。悔しくて、やるせない。 「そら!」 「寛貴・・・・!」 「今日は、英語やるか」 「うん」   病室。街が見える。 「現在完了な」 「もうおれ達、中3の授業だね」   本来家でやる筈の勉強を病院で蒼多と出来る。 「東京の大学でも目指すか? なんてな」   ジョークを言って笑い合う。      好きだよ寛貴。     「きっと神様が治してくれるから」   蒼多は笑っていた気がする。最期まで。 「仲がいいのね」   若い看護士のお姐さんが二人に言った。少しずつ、その看護士のお姐さんとも馴れ合うようになった。    あの日はちょうど、雨だったと思う。寛貴の誕生日。土曜日。蒼多が病院から消えた日。    ザーザーと音を立てて。空気を切る音なのか、雨がどこかにぶつかる時に生じる音なのか。「天才児」でも考えた事などなかった。    休みの日だった。寛貴は、病院に向かった。病室には誰もいなかった。      蒼多は 何処へ ・・・・・?    この雨の中、身体の弱いヤツが何処かに消えた。   寛貴は蒼多はすぐに帰ってくるとばかり思っていた。   蒼多のベッド。寝転がった。寝てしまった。       「寛貴」                     「寛貴」            「寛貴」             「寛貴」                                        「寛貴」             大好き。好きだよ。寛貴。    ひ ろ き ・ ・ ・ ・     目覚めた時には、全て終わっていた。    雨が上がって、雲の間から日光が降り注でいた。    まだ誰も来ない病室。静寂。独り。   ガチャンっと乱暴に開かれたドア。入ってきたのは三人の人。 「君が、寛貴君・・・?」   震えた声で、病室に入ってきた三人の中の一人が聴いた。黒い髪を一本に縛って束ねた、30歳代くらいの小母さんだった。 「・・・・・そうだよ」   なんでだろう。   寛貴の元へ寄り、寛貴を抱き締めた。実の母親よりも、別の意味で温かかった。 「蒼多と、今まで、仲良くしてくれてありがとうね・・・・・」   どうしたのだろう。何があったのだろう。   泣き崩れた小母さん。 「蒼多に代わって、お礼を言うよ」   暗い声で言った、男の人。 「・・・・・・・・」   ただ黙って唇を噛み締めている、多分寛貴よりも幾つか年上であろう少年。 「・・・・・・?」   状況が理解出来ない。蒼多はどこにいるのだろう。   でもこの人達に訊いてはいけない気がした。         ひ ろ き ・ ・ ・ ・ ・ 「これを、渡さなきゃ・・・・・」   小母さんは寛貴にふやけたのか、でこぼこになった封筒と少し曇ったシルバーリングを渡した。 「そら のリングだ・・・・・」   小母さんから渡されたシルバーリングは、まだ温かかった。 「これを持って、あの子は・・・・・」   封を開けた。まだ誰にも読まれていないのだろう。糊で綺麗に口が閉じてあった。滲んだ鉛筆の綺麗な字。好んで使っていた2Hの芯。      『ひろき へ     誕生日おめでとう。初めて人にプレゼントを渡すからなんか恥ずかしいね     この前の約束、覚えてるよ。これでおれ達は、大人になっても友達だね。      てれくさいね。学校では当分話せなくなっちゃったけど、おもえば      おれ達、この病気のおかげで会えた。だからちょっとがまんするよ。     ありがとう。                            蒼多(そら)より  』   寛貴は文に目を通す。握ったままのシルバーリングはまだ温かい。   小母さんがぼそっと呟いた。   「雨があの子の体温を奪った。風邪と肺炎の併発。幼い心臓が耐え切れなかった」   そうしてこう続く。       その指輪をしっかり握っていたわ。ポケットにはその手紙が入っていたの。笑ってたのよ、あの子。呼吸困難だったろうに。苦しかっただろうに。笑ってたの。   雨の中、車の行き交う中、傘も差さずに、裸足で。    猛獣を押さえる脆い鎖は儚くも砕け散ったのだった。

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