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第五話
一日の仕事が終わり、伊太郎は万蔵を湯屋へと誘った。惚れ薬の件があってから声をかけづらくなっていたものの、それまでは毎日のように一緒に通っていたのだ。
しかし、なんの意識もしていなかった頃と違い、万蔵に裸を見られるのがどうにも恥ずかしい。
いつまでも脱衣場で褌 をとれないでいる伊太郎に、万蔵は呆れたようにため息を吐いた。
「怯えなくたって、とって食いやしねぇよ。今までだって、湯に入る時にわざわざ変な目で見ちゃいねぇ」
万蔵は不機嫌そうに言い捨てると、洗い場へと移動していった。伊太郎は慌てて褌をとり、後を追いかける。
二人それぞれに身体を洗って湯船に浸かると、万蔵は手ぬぐいで目元を隠し、沈んだ声で呟いた。
「伊太郎、困らせて悪かった。別にお前に何か望んでたわけじゃねぇんだ。突拍子もなく縁談の話聞いて、混乱しただけだ。綺麗さっぱり忘れてくんな」
「おいら、困ってなんかいねぇ。嬉しいのとは違うけど、万蔵さんに変な薬盛られても、嫌じゃなかった」
「いいから、忘れろ」
ぴしゃりと言われ、伊太郎は口をつぐんだ。
万蔵と同じ気持ちかはわからないが、喜んでくれるのならその気持ちに応えようと思っていたのに。
熱い湯に頭がのぼせそうだ。目の前がビードロをとおして見る世界みたいに歪んでいく。だけど、万蔵はまだ上がる気配がない。
いつの間にか伊太郎は意識を手放していた。
ゆらゆら、ゆらゆら、揺られて心地いい。五月の夜はまだ肌寒かった。万蔵の背に揺られ、伊太郎は一度開けた目をもう一度閉じた。
「おい、伊太郎。起きただろ。家まで送らせる気か」
「ん〜……久しぶりに、万蔵さんとこの表長屋で売ってるおでんが食べたい」
「懐炉 みてぇに熱い身体しておいて、何寝ぼけたこと言ってやがる」
「家に着く頃には、ちっとは冷えてるよ。ねぇ、食べたい。今日はおでんな気分なんだよ」
「……仕方ねぇな。食べたら湯冷めする前に帰んな」
伊太郎はわざと返事をしなかった。
忘れたふりをしても、若旦那が言うように元には戻れないのだ。このまま帰ったら、明日にはまたぎこちない関係に戻ってしまう。
それならば、行けるところまで。どこが行き止まりかわからないまま、伊太郎は突っ走ろうとしていた。
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