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17. お帰り1
葵君は車で来てくれていた。
運転する葵君の隣に座って、巌本さんに貰った水を飲む。
「お腹は減っていませんか?」
「あ…減ってる。昨日のお昼から何も食べてないんだ」
恵まれてるな、と思う。
「途中で何処かに寄って行きましょう。何か食べたい物はありますか?」
「そうだなぁ…。あ、海鮮丼!」
「海鮮丼なら───」
車が右折車線に入る。
「美味しいランチを出す店を知っています」
「ほんと?ありがとう、葵君」
僕は本当に、周りの人に恵まれている。
車が駐車場へ入っていく。
中央奥の門の前に立っていた作務衣の従業員が、駐車場所を案内してくれた。
親切な店だな、とは流石に脳天気に思えない。
門の脇には立派な松の木。木製の引き戸の向こうには、日本庭園。東屋の前の池には朱色の太鼓橋に錦鯉。
間違いない。絶対に此処は、高級なお食事処だ……。
「葵君…?」
「はい?…あ、すみません。入口まで少し遠いですよね。疲れていませんか?」
いや、ちがうちがう、そうじゃなくて。
「あの、ここ、…どの位かかるのかなって」
「ああ。あそこに見える扉が入口です」
「じゃなくて、あの…おかね…?」
「それでしたら、私に任せてくれませんか?誤認逮捕のお詫びをさせて下さい」
「え?だってそんなの、葵君のせいじゃ…」
「それでは、本音を言います」
葵君は少しだけ顔を俯けて、はにかんだ。
「この店は以前父に連れてきてもらったのですが、美味しくて…。いつか風吹さんと一緒に来られたらと思っていたんです」
だからどうか一緒に食べていただけますか?と、葵君は首を傾げる。
うまい誘い文句だ。そんなことを言われたら、断れないじゃないか。
そして僕はまた、ぬくぬくと甘やかされるのだ。
「葵君のお父さんって、何されてる方?」
ついて行く意志を固めて、当たり障りのない話題を振る。
「警視庁の公安部長です」
「こうあんぶちょう?」
「ええ。階級は警視監。公安部のトップです」
警視監…。ええと、どれくらい凄いんだ?
「葵君が警視だから…」
「階級は上から、警視総監、警視監、警視長、警視正、警視、警部、警部補、巡査部長、巡査の順ですので、父は…」
警視総監は僕でも解るぞ、良くドラマで言ってる。警視庁のトップだったはずだ。
え……?それじゃあ、
「葵君のお父さんって、警察で2番目に偉い階級の人?」
少し誇らしげに、葵君は頷いた。
なるほど。葵君がしっかりする筈だ。
「葵君って、立派だねぇ」
作務衣の従業員が出迎えて、座敷へ案内してくれる。
僕、普通にTシャツだけど、ドレスコードじゃなくても平気なのかな?しかも昨日はお風呂にも入れてないし。
「立派なんかじゃ…」
「ううん。だって、お父さんが凄い人じゃ大変だろうに、同じ仕事を選んで頑張ってる。前に正さんが、葵君は最短で警視になった出世頭だって言ってたよ」
「運が良かっただけです」
「そんなことない。僕が立派だって言ってるんだから、ちゃんと讃辞を受け取りなさい」
葵君は照れたように目を伏せ、はいと頷いた。
お茶が運ばれてきて、注文を訊かれる。
写真の無いメニュー──お品書きに目を白黒させていると、変わりに葵君が注文してくれた。
格好いいな…と見惚れながら、こんな僕に褒められてもな、とちょっと申し訳なく思う。
だけど、
「風吹さんに褒めていただくと、自分に自信が持てるようになるんです」
葵君が顔を上げる。
「貴方は裏表のない素直な方だから」
そして彼は、晴れやかに微笑んだ。
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