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33. 劣等生のトラウマ3

「───雪光、行くぞ」 探偵の腕を掴んで引っ張って。──不意に葵君にお礼を伝えていないことに気付いた。 「葵君も、一緒に行こ?」 戻って袖を引くと、葵君は立ち上がり掛けて、 「すみません、電話が」 僕たちを追い越して部屋を出て行ってしまう。 「雪光!」 呼び掛けると探偵は、こちらのことなど素知らぬ顔でソファーに腰を下ろした。 さっきまで、事務所になど寄らずに素通りしようとしていたくせに。 腹が立った。 1人皆から離れて、窓際へ行く。 猫がいつもの席でぬくぬくと丸まっている。 僕は探偵のマネジメントチェアに座って、くるりと回転した。 窓の下、人通りは多くない。ここからだと一階のカフェのテラス席も屋根の下に入って見えない。 ストーカーの人───あの人も見当たらない。 「青山さん」 葵君の声がした。パタン、とドアの閉まる音。 葵君が探偵だけを呼ぶなんて、珍しいこともあるものだ。 いつもなら葵君も探偵も、僕のことを真っ先に───ああ、そうか……。やっぱりそうなんだ。 優等生は優等生同士。僕と伊吹を比べたら、伊吹の方が良いに決まってる。 そうだ。自分でも気付いていなかった。 …そうなんだ。だから僕は、一度もここに伊吹を呼ばなかったんだ。 取られたくなかったんだ。自分の場所を。 ───くそっ…。 滲んできた涙を手の甲で拭う。 ダメだ、これ以上ここにいたら、絶対に泣く。 「ふーくん?」 伊吹が歩いてくる。こっちに、来る。 猫を抱き上げ、伊吹に押し付ける。いきなりのことに驚いた猫が怒った声を上げた。 「猫、遊んでていいから!」 伊吹は小動物が好きだから、これで足止めできるはず。 「詩子ちゃん、部屋の鍵貸して」 こちらを気遣わしげに窺っていた詩子ちゃんに手を差し出す。 「えっ?鍵、ですか?」 クラッチバッグから取り出し渡してくれた、ピンクのキーケースを受け取って、事務所を飛び出す。 直ぐ外に立っていた2人にぶつかり掛けて、慌てて軌道修正した。 「一条君?」 「風吹さん!?」 声から逃げるように、3階へ駆け上る。 元は自分の部屋だった、詩子ちゃんの部屋へ飛び込んだ。 何をしているんだろう、とは思う。 逃げたところで、どうにもならないのは分かってる。逆に現状よりも悪化するかもしれない。 訳の分からない行動だ。 皆きっと、伊吹の方を好きになる。 同じ顔なんだ。優れている方を好きになるなんて、当たり前のことだ。 「僕の居場所だったのに…」 昔から伊吹は出来が良くて、大人たちのお気に入りで、小学生のころも、中学生になっても、皆 しっかりしていてお利口さんの伊吹の方が好きで……。 高校生の僕が見つけた居場所も結局、若いうちだけの、一時しのぎの止まり木に過ぎなかった。 だから─── 「やっと、見つけたと思ったのに……」 また伊吹に、奪われるんだ。 僕には何も残らない。 此処にいてももう、僕には何も無い。 玄関チャイムが鳴る。ダン、ダンとドアを叩く音。 扉を開けると、探偵がそこに立っていた。 「…雪光」 その手にキーケースを押しつける。 「花壇に水、やってくる」 「……そうか」 階段を駆け下りる。 ほら、な。もう、心配だってついてこない。 葵君とすれ違う。また電話をしているみたい。 興味がなくなれば皆、こんなもんだ。伊吹を知れば、僕に目をくれる奴なんか居なくなる。

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