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61. カラス2
頭に一気に血流が駆け上った。
心臓が、ドクドクと音を立てる。
名前を口にしたのは、もう何年ぶりだろう。
ずっと、忘れたつもりでいた。
だけど、忘れたことなんかなかった。
「チヒロは、今……」
……いや、家族でしあわせに暮らしているはずだ。それは今更、僕の気にすることではない。
「会いたい?」
「……会わなくて…いい。幸せだったら、それでいい」
「じゃあ幸せじゃなかったら、会いに行くの?」
「幸せじゃない筈がないだろ」
「…さあ、どうだろう」
頬杖をついて、流し目で意地悪く笑う。
「どちらにせよ、関わる気がないのならば聞く必要もないだろう?お姫様」
じゃあ、端から振ってくるなよ。しかも気になる言い方をして、そこで止めるだなんて、卑怯だ。
「それに今あんたに聞かせてあげたいのは、もっと旬な情報だ」
「先に、どうして君が此処まで出しゃばって出て来たのかを聞かせてもらおうか」
僕に向けて指を立てたカラスに、足を組んでソファーにふんぞり返った探偵が、鋭い視線を向けた。
「あれ?やだなぁ、青山センセー、怒っていらっしゃる?」
半年前の僕なら、泣きべそをかいていた凶悪な顔。けれど慣れているのかそもそも気にしない質なのか、カラスはヘラヘラと笑顔で茶化す。
「だってさ、センセーが依頼以外で──金にならないことで情報買ってくれるなんて珍しいじゃん?気にならない方がウソだ。そんな相手がいるんだったら、しかとこの目で見ておきたいね」
「見るだけならば」
「実際見たら、俺の好みのお姫様だ。知り合わない理由が無い」
姫じゃねーよ。
きっとカラスは探偵のことを揶揄って愉しんでいるのだろう。
それを承知しているだろうに、探偵は体から立ち昇る不機嫌を隠そうともせず、尖った瞳の上の眉をピクリと吊り上げる。
「それからそこの刑事さんに顔を売っておこうかと思ってね」
「…私に?」
「そう。美人刑事さん、俺が現場付近や参考人の周囲をうろついていても、職質しないでね。ほら、俺ってイケメンで、モデル体型。ちょっと目立つでしょう?」
「目立ちたくないのなら、その全身揃えた黒服をどうにかすべきでは?」
美人、と言われたことが引っかかったのだろう。
葵君は眉根を寄せて、胸の前で腕を組んだ。
「う~ん、そうなんだよねぇ」
カラスは組んでいた足を崩し、苦笑する。
しかしその同意は、黒服に向けられたものではなかったようで。
「俺、両刀だけど、限り無くゲイよりなわけよ。でも、女性相手じゃ百戦錬磨なのに、本命の男相手じゃなかなか上手いこといかない。お姫様や刑事さんみたいな人が好みなんだけどさぁ」
揶揄うように、僕と葵君の手を握ろうとして、その手を探偵と葵君、2人に同時に叩き落とされた。
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