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79. 大人の顔1

詩子は階下に下り、エントランスの扉に施錠を済ませると、事務所に戻りその扉にも鍵をかけた。 風吹は給湯室から部屋へ戻り、ソファーでコーヒーを飲んでいた。 「葵君って、律儀だよね」 葵の為に淹れたコーヒーだったのだろう。いつも彼が使っているマグカップではなく、客用のコーヒーカップをソーサーに戻す。 「風吹様、聞こえていらしたんですの?」 風吹は首だけで振り返り、詩子にもソファーに座るよう促す。 「詩子ちゃんはディンブラで良かった?」 「…ええ、ありがとうございます」 詩子が緊張の面持ちで隣に座ると、風吹は彼女を安心させようと、おやつ用に焼いておいたビスキュイを勧めた。 自分もそれを一口で放り込んで、ごくんと飲み込む。 「安心して、詩子ちゃん。僕は事務所で大人しくしてるから」 「風吹様……」 「でも一人だと淋しいから、一緒にいてくれると嬉しいな」 「───はいっ!詩子は兄様が戻られるまで風吹様と共にこの部屋におります!安心してお寛ぎくださいませっ」 「ありがとう」 風吹がふんわりと微笑む。 詩子は心の内でキャーッと黄色い歓声を上げ、両手で頬を押さえ顔を伏せた。 かわいいっ、可愛すぎますわ風吹様っ───! 「あの──仲の悪い2人がコソコソしてるってことは、また僕のことを守ろうと奮闘してくれてるんだろうし」 「っ……あの…、それは………」 顔を上げると、少し困ったように眉尻を下げ、小首を傾げて笑う風吹が目に入る。 そんなお顔もお可愛らしい…っ。 可愛らしすぎて直視できませんわ、等という理由で目を逸らされたことになど気付く筈もなく、きっと隠さなくてはならないことに気まずさを感じているのだろうと、風吹は詩子に「ごめんね」と伝えもう一度微笑んだ。 「巻き込んじゃって、ごめんね」 「そんな───っ!私は巻き込まれたなどと思っておりませんわ!巻き込まれたと言うならば、風吹様の方ではございませんか」 「……そうだね。僕には、危機感が足りないそうだから」 いつも雪光に文句を言われるんだ、と苦笑する。 「伊吹がね、職場の近くに良いマンションを見つけたんだって」 「伊吹さんが?」

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